なんだかよくわからないけど、人に感じられない事を感じてる…とかで

生き辛さを感じている人、いらっしゃると思いますが

ある日、スピリチュアル(精神世界)と出会い、目覚める…

定義は様々、ツールも様々。ピンからキリまで。

これだ!と思い、盲目的にはまってしまって湯水のように金をつぎ込む

宗教じゃないにしろ、宗教みたいなものもあり、宗教みたいにしてしまう人もいる。

教祖ではなくても、自分よりサイキックで霊能者みたいに、なんかわかっちゃう人で

占い師みたいな事をする人で、おまけにヒーリングなんてできる人を

先生とか呼んで崇拝しちゃったりして、もうその先生みたいな人の言われるまま

これはこうだから、これをやりなさい、あれをやりなさい。これが真実です。とか…

ちょっと精神世界の事をかじって、素質とか才能や人間性とかに関わらず

お金を払ってツールを学ぶ勉強をした!精神世界の勉強した!ってだけで

その日からスピリチュアルな先生になれてしまう何でもありな世界です。

ちょっと変?な人でも、よくわからない事言ってたり、してる人でも

スピリチュアル謳ってさもありなんな事言ってても、それを信じる人からしたら

先生という存在になれてしまう、不思議な世界。

誰が言い出したかわからないようなスピリチュアルな定義を信じてる方が

先日、あるところでこんな発言をしておられて、かなり呆れてしまいました…

子供のアレルギー、小麦粉のアレルギーについて。

アレルギーって大変。食物のほとんどに含まれている小麦粉が食べられないなんて、何かのカルマなんだろうな…

って。ビックリしましたわ。というか、呆れた。

スピリチュアルをこじらせた人、知ってる人はいるけれど、ちょっと酷すぎw

昔のある時期の自分も似たような所はあったんだろうなと思いながら

社会とか、現実世界、肉体というものを全く見ていない状態というのは

こういう感じなんだろうなとつくづく思いました。スピリチュアルにはまった人は

1度は通る道なのかもしれないけど、先生とか師とか、そこばかりに依存して、学びとか言ってる人は

誰かの知識とか、思い込みみたいなスピリチュアルの定義を聞くだけで、学んだ!と

頭でっかちになって、経験とかが全然ないから、簡単にカルマだなんて言ったりするんだろうな。

そりゃああるでしょうカルマ。否定はしませんけども、

スピリチュアルというものは、定義であって定義ではないように思いますもので

さも、これが真実みたいに謳って教えを説くような物は洗脳ですから。

自分のやってること、信じてる事、その人にとっての真実だとは思いますが、

人として現実社会でいき、経験として培ったもの、感じ得たものの中からの気づき

そこから得るものの方がより価値のあるもののような気がします。

この世界がウソで、本当の真実はこうなんです!という知識の書き換えみたいなものは、

今を生きる事から逃げたい人には好都合でしょうが、結局矛盾だらけで変だなと思うのですが、

崇拝に変えてしまってる人には、そこでの真理で生きていくしかなくなるのですね。

さて、私のアレルギー、花粉症やら犬アレルギーやら

どんなカルマなんでしょうかw