通貨の信認については、言葉が独り歩きするだけで、定義がないと言えます。経済議論で使われる時は、通貨の価値が維持される、即ち価値が目減りしない、インフレにならないという意味で使われているようです。





 通貨には二つのマーケットがあります。国内の流通市場と為替市場です。国内では自国通貨しかないので国民には他の通貨の選択の余地が無く、インフレだけの問題になります。この場合、通貨の信認とは価値が目減りしない、即ちインフレでなくデフレの方が信認が高いことになります。しかし、デフレの日本でハッピーな人はいません。それに気が付かない愚か者は日銀と財務省と経団連だけで、通貨の信認のために不景気になっても言いというのが日銀の政策です。後世で信じられないほど馬鹿だと言われることでしょう。





 為替市場では、通貨の信認とは通貨の信用であり、交換価値となります。現在の世界で基軸通貨米ドルを受け取らない人はいません。次に、日本円とユーロはいつでも、どんなに大量でもドルに交換可能ですし、円のまま、ユーロのままで受け取っても交換できないというリスクはありません。では、北朝鮮の通貨はどうでしょうか? そんなもの、誰も受け取りません。北朝鮮が自分で米ドルに交換し、相手にその米ドルを受け取ってもらうしかありません。では、その交換市場は何処にあるのでしょうか? 北朝鮮国内にしかありません。





 為替市場に於ける通貨の信認の測定器は何でしょうか? その通貨に為替市場があるどうかです。要するに、ロンドンの銀行で自国紙幣が交換可能かどうかということです。円もユーロもクリアーします。では、北朝鮮の通貨はどうでしょうか? これは自国外では受け取ってもらえないでしょう、何故なら自国外では貯蔵されていないからです。世界の通貨は、ユーロと北朝鮮ウォンの間のどこかに位置します。要するに、世界で受け取ってもらえるかどうか、これが通貨の信認です。





 ここでようやく円の信認の定義の核心に辿り着きました。円の信認では、円が世界の為替市場でいつでも受け取ってもらえることが最低条件ですが、これは軽くクリアしています。次に、交換レートが、円が強くなっていれば信認が高く、円が弱くなっていれば信認が弱いと言えます。つまり、円の信認は現時点では世界の通過の中で一番高いのです。





 よって、円の信認について心配している日銀は完全に間違っています。