大事な家族や婚約者がいる人が好きで戦場に出ていきたいと思うはずありません。


自分の息子を好んで戦場に送り出したいと思う親はいません。


それでも「お国のため」に命をかけなければならなかったのが戦争でした。



まだ10代の若い人達が、


一人乗りの飛行機に片道の燃料のみを詰めて敵の陣営に突っ込んでいった。


その人達は突撃しながら、まもなく靖国神社で両親と再会し、仲間たちと再会できる、


そう自分に言い聞かせながら死んでいったのです。



「お国のために死んで、靖国で会おう」といいながら死んでいった人たちの


霊が祀られているのが靖国神社です。


国の代表がその靖国神社を参拝することは本来当然と考えておかしいことではありません。




しかし、敗戦国である日本はあくまで加害者で、


中国や韓国は被害者であるという前提の論陣を識者と呼ばれる人があたりまえのように述べています。



政治家は「被害者」の希望にそって靖国参拝をとりやめ、


「被害者」のために教科書の記述にまで配慮すべきという理屈は、


国家としてあるべき姿勢が欠如していると言わざるをえません。



アメリカの中学生の教科書には、


原爆を投下することにより戦争を早く終結させることができて、


世界を平和に導くことができたという記述があるという話を聞いたことがあります。



原爆投下を肯定する理屈に同意するつもりはありませんが、


安易に自らを加害者に仕立て上げて、


軽薄な謝罪を繰り返す姿勢に比べれば、


自分の国に対するプライドをもっているだけまともです。




政治家が国を貶める行為をおこなうことにはなんとも残念な気持ちでいっぱいになります。


自分自身は、命をかけて国のために戦った人たちに対して、


敬意の気持ちを忘れないようにしたいと思います。