今日は広島に原爆が投下された日。
アメリカに住んでいると、複雑な心境に襲われる。
友達たちはやさしい、同僚も最高だった。
でも見えない境界線を引いてきて、見下すというか、私はいないかのような扱いをするアメリカ人もいる(まさか同じシュタイナー関係者でいるとはね!)
彼らの豊かな暮らしぶりを見ていると、ほー、結構なことですな、世界中から搾取してその暮らしぶりとはね、自分たちが安全な所に身を置けたら、あとは周りは"I don't care"ですか?とか思ってしまう。
周りとは、アメリカの歴史上の傍若無人ぶり、そして現在の傍若無人ぶりのことね。
それでさらに見下し、優越感感じているのなら始末におえませんなー
アメリカで知り合った日本人の友達が広島出身だった。
その人はアメリカ暮らしが長いのに、未だに消化しきれない感情を抱えている。
無邪気で感じのいいアメリカ人、でも自分たちの国がやっていることなんてぜーんぜん興味なくって、ホント無邪気。
はー、言ってやりたい!あなたの国は、広島、長崎で人体実験したんだ、と。
治療は何もせずデータ収集してたんだ、と。(前出の友達の弁、私もそう思う)
今でも大量のお金使って無差別殺戮してるって。
財政だってドイツがギリシャに貸してるお金の、18倍(あってる?)のお金を日本から借りてるんだ、中国からもね!と。
かつてドイツに住んでいた頃、この時期にサマーコースに参加してて、ハートの熱い芸術のドイツ人先生が広島原爆投下について触れたら、参加者の韓国人(後で友達になった)が大激怒したらしい。
その場にはいなかったんだけど、日本人の友達がいうには”日本人はやられたことよりやったことについてはどうなのよ!私たちはただ誤ってほしいの!”って言ってたらしい。
おおかた私がアメリカン人に吠えた所で、いや、噛みつくならおたくの政治家に言ってよね、搾取されるなってね、と言われることだろう。
こんな炎上しかねない内容を連立しておいて、残り少ないアメリカ生活でできることはないのかが自分でもわからない。
大切なのはただリスペクトを勝ち取ることなんだけど、ドイツの場合それは、自分の意見をしっかり言えること、その意見がシャープであればなお尊敬を得る=個人の人格を見てくれる、から簡単だった。
アメリカン人の場合はその人が属するもので判断している気がする、階層、人種、金、所有物、家とか?
渡辺謙の、戦争より友達を作ろう!は理屈上正論だけど、謙さん、あなたはスーパースターなのですよ!
どのアメリカ人も、心の中でレッドカーペットを引いてあなたをお迎えするでしょうよ、そりゃ。
私は日本人に必要なのは、世界でもっとリスペクトを勝ち得ることだと思う。
しかしこの無邪気でちょっと浅いアメリカ人にはどうやって!?
今のところ好感触だったのは、彼らの師匠にあたる人と私がドイツ時代から親交があるというところだったかも。
あと私の前のドイツの職場、伝統と格式があるところだったもんでねー。
でもやっぱり個人じゃないよね、くだらなーい!浅いぞ!
ここまで書いてて、私のターゲットは純アメリカ人ではなくて、ヨーロッパ系カナダ人だったと気づく。
やっぱりアメリカ人は無邪気でやさしい、うん。
