【1935年7月6日~】
チベット宗教的・政治的最高指導者。
チベット亡命政府の指導者。

1949年の中国のチベット侵略に伴い、15歳で国家最高指導者となる。
1959年に亡命しインドにチベット亡命政府を樹立。
1989年にノーベル平和賞受賞。


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『私たちの本当の敵は、

無知、憎しみ、欲望、嫉妬、傲慢という心の毒です。』


『怒り、いさかい、嫉妬、激しい競争によって友情は生まれるでしょうか。

友をつくる最良の方法とは、非常に思いやりのある人間になることです。

親愛の情だけが、真の親友をもたらします』


『本当の愛と執着を区別しましょう。

前者は、何の見返りも期待せず、状況に左右されません。

後者は、出来事や感情次第で変わります。』


『子どもにはまだ後知恵がついていませんから、

人間本来の性質がよく表れています。

小さな赤ん坊は、人を区別できません。

自分の前にいる人の微笑みが

赤ん坊にとってはなによりも重要なのです。』


『知識だけを与えて思いやりを教えなければ

おそらくその子は自分より上の立場の人には妬みを、

自分と同等の人には激しい競争心をおぼえ、

自分より恵まれない人には

軽蔑の念をもって接するようになるでしょう。』


『もし人間の本性が憎しみや敵を殺すことであったら、

人類はずっと以前に滅亡していたでしょう。』


『憎んだり怒ったり不幸せになったりしても、

相手が持っている物や成功に

影響を及ぼさないことを思い出してください。

この点から考えても、腹を立てるのは無意味なことなのです。』


『あなたを傷つけたいと思っている敵に出会ったら、

それを忍耐や寛容を覚える機会だと考えましょう。』


『他人の何千もの欠点に目をつけるより、
自分の唯一の欠点に気づくほうがよほど役に立ちます。
自信を持って修正できる立場にあるからです。』


『〝私〟という強い自我をなくさない限りは、

執着や嫌悪の心をなくすことはできないのです 』


Mother Teresa
【1910.8.27-1997.9.05】
カトリック教会の修道女。
修道会 「神の愛の宣教者会」の創立者。

マザー・テレサの貧しい人々のための活動は、
後進の修道女たちによって全世界に広められている。
活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設、

炊き出し施設、児童養護施設、学校の設立などである。


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『慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを』


『世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。
愛と共感を用いさせて下さい。
平和は微笑みから始まります。
あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。
神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、
あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう。』


『大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、

どれだけ心をこめたかです』




『苦しみ、それはともに受け入れ、ともに担いあう時、喜びとなります。』


『もしあなたが人々を判断していたなら、彼らを愛する時間はない。』


『人間にとってもっとも悲しむべきことは病気でも貧乏でもありません。
自分はこの世に不要な人間なのだと思い込むことです。』


『健康な人やお金持ちは、どんなウソでも言えます。
飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手、見つめあう視線に、
ほんとうに言いたいことをこめるのです。』


『あなたのしていることはとても小さいことかもしれません。
大海の1滴にも過ぎないかもしれません。
しかしやり続けなさい。その1滴1滴が大海をつくっているのだから。』


『富やお金は私たちを豊かにはしません。
私たちを豊かにするのは、私たちのそれに対する態度なのです。』


『私がお願いすること。飽くことなく与え続けてください。
 しかし残り物を与えないでください。
 痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくしてください。』


『私は、不親切で冷淡でありながら奇跡を行うよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに、間違うほうを選びたいと思います。』


『主よ、私は思い込んでいました。
私の心が愛に満ちていると。
でも心に手を当ててみて気づかされました。
私が愛していたのは他人ではなく、
他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

主よ、私は思い込んでいました。
私は何でも与えていたと。
でも胸に手を当ててみて、わかったのです。
私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

主よ、私は信じ切っていました。
自分が貧しいことを。
でも胸に手を当ててみて気づかされました。
私は思い上がりと妬みとの心に膨れ上がっていたことを。
主よ、私が自分自身から解放されますように。』


『あなたの感謝の心を表す、一番良い方法は、
どんなことでも、喜んで受けいれることです。』


『もしあなたが、がっかりしたのだとしたら、

それはあなたの自惚れの表れです。』


『心から喜んで"与える"人は、
人々に、素晴らしい恵みを与えることのできる人です。』


『やさしい言葉は、たとえ簡単な言葉でも、

ずっと心にこだまします。』


『私たちは、人からの屈辱を
明るく受け止めることを通して
謙虚さを学ぶのです。
学ぶチャンスを逃さないようにしましょう。
自惚れたり、ぶっきらぼうだったり、
気分屋だったり、自己中心だったり、
こんな自分でいることは
いともたやすいことです。』


『もし、経験がないならば、尋ねなさい。
尋ねることは恥ずかしいことではありません。
けれど、知らないことを 知っているようなふりをするのはおやめなさい。』


『自分の欠点が人々に知られることを、
私たちは喜んで受け入れなくてはなりません。』


『もしあなたが謙虚ならば、
ほめ言葉も不評も、あなたを害するものはありません。
なぜなら、あなたは
自分が何者なのかを知っているからです。
もしあなたが非難されても、
失望することはありません。
もしあなたが聖人と呼ばれたとしても
いい気になることをないでしょう。』


『誰かを傷つけたとわかったら、
まず先に謝る人になりましょう。
私たちには許しあうことが必要だとわからなければ、
人を許すことはできません。』


『小さなことに忠実でありなさい。
思いやりの心を込めましょう。
なぜなら、その中に私たちの力があるのですから。』


『たとえあなたが善いことをしても、

人はあなたを利己的だとか、 
何か下心があるのだろうと非難することでしょう。
でもとにかく善いことをしなさい。


あなたが何かを成し遂げようとすると、
その邪魔をする人が現れるでしょう。
でもとにかく成し遂げてしまいなさい。


あなたが誠実で正直であればあるほど、
あなたの心は傷つきやすくなるでしょう。
でもとにかく誠実で正直であり続けなさい。


あなたが何年もかけて築き上げてきたものが、
一夜にして壊されることもあるかもしれません。
でもとにかく築き上げなさい。


本当に助けが必要な人の中には、
あなたの手助けに乱暴で応える人もいるでしょう。
でもとにかく彼らを助けなさい。


世のため人のためにあなたに最善を尽くしても、
逆にひどい仕打ちを受けることもあるでしょう。
でもとにかく世のため人のために

あなたの最善を尽くしなさい。』


『知的障害のある子や、
落ちこぼれの子どもたちの問題を
よく考えてください。
もしあなた方が面倒を見てあげなければ、
彼らはこの社会でどんなことになるでしょう。
貧しい人たちの中でも、豊かな貧しい人たち、
より恵まれている子どもたちがいます。
こうした、恵まれている子どもは
なんとかまだ居場所があります。
けれど、ほんとうに感覚が麻痺したり、
反応もなく飢えきっている子どもたちがいます。
このような子どもたちのためにこそ
働かなくてはなりません。』


『世界には貧しい国が二つある。
ひとつは物質的に貧しいインド。
もうひとつは、世界でこれだけ苦しんでいる人がいるのに

無関心でいられる日本。』


『日本人はインドのことよりも、

日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。
愛はまず手近なところから始まります。』


『私たちお互いの付き合いは、誠実であるようにしましょう。
そして、お互いが
ありのままの自分自身を受け入れる勇気を持ちましょう。
お互いの失敗に驚いたり、こだわったりしないようにしましょう。
むしろ、お互いのよい面を発見しましょう。』


『あなたがカルカッタに飛んで来たいということは
知っています。けれど、
遠くにいる人を愛するのは簡単なことです。
反面、一緒に生活している人たちを愛するのは
いつでも易しいわけではありません。
嫌いなあの人や、ついバカにしてしまう
あの人のことは、どうなんですか?』


『物的には
何不自由なく育てているかもしれないけど、
 "子どもたちの目"から見ると
全く存在していないような両親が実際にいるのです。』


『子どもたちに家庭で、
お互いに愛し合うことを教えるべきだと思っています。
子どもたちは、
両親がお互いに愛し合っているのを見て、
愛するということを
自分のお父さんやお母さんから学ぶのですから。』


『いつのことだったでしょうか。
ひとりの女性が子どもを抱いてやって来て
こう言いました。
「マザー、私は食べ物をもらいにあちこち訪ねましsた。
私達はこの丸3日間、何も食べていないのです。
けれど、人々は、
あなたは若いんだから、自分で働いてお金を稼ぎなさい、と言って
誰一人として何もくれようとしなかったのです」
私は急いで食べ物を取りに行きました。
そして戻ってきた時には、
子どもは彼女の腕の中で、
飢えて死んでしまっていました。』


『微笑みは、いつも、あなたの唇の上になくてはいけませんよ。』


『許すことを学ばなければなりません。
許し、そして許しを請うこと。
責めるのではなく、許しますと言うこと。』


『どんなに私たちの仕事が素晴らしくても、
それに執着しないようにしましょう。
いつでも心の平安を失うことなく、
なんでも差し上げる用意をしておきましょう。』


『あるお金持ちが私のところへ来て、
家とか車とか、
彼の生活の中の何かを差し上げたいと言いました。
私はこう勧めました。
「あなたがお店で買う新しいスーツとか何か衣類を買う時、
一番良い物を買う代わりに、少し安いのを買うようにして
その残ったお金で
だれかに何かを買って差し上げたらどうでしょうか。
貧しい人たちになら、もっといいですけどね」
私がこう言い終わるや否や、
彼はほんとうに驚いた様子でこう叫びました。
「ええ? それでいいんですか、マザー?
今までそんなふうに思ったことはなかった」
彼が立ち去る時、
他の人に役立つことを考えて、
彼はほんとうに幸せそうで、喜びに満ち溢れていました。』


『ガンジーは、キリストのことを知った時、興味をいだきました。
しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。
キリストに近づこうとしている人たちにとって、
キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。
言葉でだけきれいなことを言って、自分は実行していないことがあるからです。
人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。』


『私には、受賞の晩餐会は不要です。
どうか、その費用を貧しい人たちのためにおつかいください。
私にあたえられるのは祈りの場だけしかないのですから。』


『目の不自由な人がそばにいれば、
自分が読んでいる新聞を声を出して読みあげるだけでいい。
それも自分が読みたい時間にで充分。
いや、何もしなくても、そこに何かで苦しんでいる人が

いるということを知っているだけでいいのです。』


『すべての宗教は、永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。
この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人たちは、

死を恐れます。
もしも、死は神の家に帰ることだと、正しく説明されれば、
死を恐れることなどなくなるのです。』


『もし、貧しい人びとが飢え死にするとしたら、
それは神がその人たちを愛していないからではなく、
あなたが、そして私が、その人たちにパンを、服を、そして愛を、思いやりを
あたえなかったからなのです。』


『死は自分の家に帰ることですが、

人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。
そこには良心の問題もあります。
”もっとよくやるべきだったのに”と。
私たちは生きたように死ぬものです。
死とは人生の続きであり、
また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。死なないのです。』