皆様、こんにちは。

今日は3月11日、大震災からもう3年経ってしまったのですね。もう3年前、まだ3年前という両方の不思議な感覚があります。

当時、私達は東京に住んでおり、それぞれの職場でかなりの揺れを体験し、帰宅に大変な時間を要しました。全てのことを昨日のことのようにはっきり思い出せます。



 当時、私は南青山のイタリア政府機関に勤めていたのですが、すごい揺れが来た時(1回目の揺れの時、同僚は歯を磨いていた私を置いて逃げました!!2回目の揺れの時には、ちゃんと呼んでくれましたが(^^;)、同僚を探して外に出たら道路が映画のようにぐでんぐでんに揺れていたのを思い出します。

何が起こったのかわからない私達は、その後ネットの情報やテレビで、大変なことが起こっていることがだんだんとわかってきました。

 その後、イタリア人局長の判断でローマ本局に知らせた後、すぐに閉館。地下鉄は全てダメになっていたため、局長が車でスタッフを南青山の事務所から渋谷駅前のバスターミナルに送ってくれたのですが、通常なら10分もあれば着きそうな距離が、すごい渋滞で1時間半くらいかかった気がします。

渋谷のバスターミナルも歩道橋の上まで列ができ、大変な様相を呈していました。バスも3~4時間待ち(それでもそれで乗れただけ、ラッキーでした)、バスでも渋谷から中野までの距離に3時間かかりました。バスを待ってる間やバスの中で、色んな居合わせた人とお話をしながら、妙な連帯感がありました。家に帰ったら、グラスが壊れていたり、タンスなどの引き出しが全部開いていたり。当時マンションの7階に住んでいたのですが、震災時に7階にいたら生きた心地がしなかったろうと思います。


 翌日は開館しましたが、結局、仕事場は2週間程閉局となり(ステファノシェフのところも)、フランスに次いで、イタリア大使館がイタリア行の飛行機を割とすぐ用意してくれたのですが(こういう時のイタリア人の行動力はすごいです)、逃げても日本に住む私達は結局は帰ってくるわけだし(イタリア人だけの駐在家族などは、これを機にほとんどの人が本帰国しました)、私達は移動せず東京に残りました。


 その後、スーパーに行っても水や牛乳が手に入らなかったり、品物が全然なかったり、街全体の電気が暗かったり、お店の中も電気が点いていなかったり、今までに見たことのない光景をたくさん目にしました。閉局の間、家では毎日TVに釘づけでした。東京の様子なんかちょろ甘いもので、東北の様子は現実のものとは思えない、目に余りある光景でした。それから私たちなりになにかできること、と募金したり、ステファノは「Italians for Tohoku」と言う、在日のイタリアン人経営のレストランのグループの中で、東北へイタリアン炊き出しに行っていました。

 また、勤めていたイタリア政府機関としては、イタリア民間企業の協力の元、福島のお母さんとお子さんをイタリアへ招待する、というプロジェクトを行いました。毎日、切実な思いでお電話されて来られるお母さん方のお電話を受け、全ての皆さんを招待することができず胸が締め付けられる思いでした。それでも、実際にイタリアに行かれたご家族から喜びの声をお聞きすることができ、ほんの少しでも力になれたと嬉しい思いがしました。


 余震がすごく頻繁にあったため、もう揺れていない時ですら、「今、揺れてない?」と揺れを感じるようにみんななっていました。直後しばらくは車酔いのような症状もあったな。

 福岡にいると、やはり遠くて、実際に地震の体験をされていないため、悲しいけれどやはり感じ方がちょっと薄いような感じがします。仕方のないことだけど。私達もつい先日話したのですが、「そういえば、全く地震がないよね。」と気づけば、日常の生活の中で全く揺れを感じない生活が当たり前になっています。でも、まだ26万人の方々が避難生活を送っていらっしゃるのですよね。まだまだ、復興が進んでいない。復興のための財源が全く関係のないことに使われていたり、信じられない腹立たしいことが多くありますが、震災を、そしてまだ被害がずっと続いていることを絶対に忘れずに、自分たちにできることを少しづつ行っていきたいなと改めて思いました。