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継母になって 15年が経ちました。

 

継子たち(以下、継長男・継娘) と その実父=夫 との 継母生活の経験を

(現在は 継子との同居は卒業しました)

 

自分の心の整理と、
 
これから 継母経験を 深める方々へ
ここまでに ならないように と 祈りつつ
反面教師など…何等かの お役に立てば という 思いで 
 
綴っています。
 
趣旨をご理解いただける方に お読みいただけたら 嬉しく思います。
どうぞ よろしくお願いします。
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お久しぶりですっ。

 

新年を迎えてから 素敵な運が あるようですっ。

その話は いずれ…。ニコニコ

 

 

 

 

 

 

私が 継母を経験した上で 実子の子育てをして

 

学んだ 一番大切なことは 「寄り添うこと」 

 

… って 今は 受け止めています。

 

 

 

 

 

 

私の母は アダルトチルドレン ならぬ アダルトベイビー というのか、

未だに 子どものままな部分が 多く。

 

 数十年前、私が 幼い頃には

  私の昼寝の間に ボウリングに 行っちゃった伝説? とか

 (社宅だったので 私の鳴き声に 隣家が気づいて 面倒見てくれた、とか)

 

 気に入らないことがあると ヒステリックだったり

 

 自身の赴くままにしゃべるばかりで 人の話を聞かない とか

 

 人生 とか 進路 とか 悩み とか

   そういう相談を 一度も したことないし…

   (母が 私のそういうことに 興味ないのよね…)

 

 

 

 

 

きっと 私が 子ども時代に 

 「会話に困る」 思いを 抱えていたのは、

 (おそらく 周りは そんな私の困り事に 気づいていないけれど)

 

そんな 母の 背中 (= そんな母の 一方的なしゃべり)

を 見ていたからなんだろうな。

 

 

 

 

そんなで 私は 甘えるのも ヘタな まま、

「寄り添ってもらう」 ことを 知らずに 大人になってしまった。

 

 

母に ヒステリーを 起こさせないことに

私の多くの力を 注いでしまった… そんな 生き方でもあったのかも…。

 

 

社会的には ちゃんと やっていたであろう 私だったけれど、

精神的には

 大人びすぎていた部分と

 子どものまま 成長できていない部分 とが 混在いるんだろうと思う。

 

 

そして そんな私には

なかなか 「寄り添ってもらえる出会い」 も なく。

 

 

 

 

 

 

そんな私が 継母になって。

継子に 「社会的に生きるためのすべ」 は

 いろいろと 教えていたと思うけれど…

 

継子の心に 「寄り添う」 ことが どれぐらい できていたか。

 

 

  結婚前の 「心に余裕があった頃」 の方が、

   寝かしつけで 絵本を読んであげたり、 一緒に読んだり…

  そんな風に 継子の心が あったかくなることが できていた記憶。

     :

  それらは 寄り添う なんて 思って やっていなかったけれど。

     :

  継子には 「温かい記憶」 とか 「寄り添ってもらえた」

  と 思ってもらえたのかな…

  それらは 今も 継子たちの記憶にあるのかな…

 

 

 

継母になってからは、

それまでの反動か、いろいろと起こるわけで。

 

私は 本来 父親がやるべきことも 当然のように 引き受けてしまい、

私の心は 疲弊、すさみ、

でも 私の心に 寄り添ってくれる人は おらず、

ひとりぼっちで 闘っていた。

 

どうやって 寄り添ってもらうのか も わかっていなかった。

 

 

 

 

そして 夫自身も おそらく 「寄り添う」 ことが 何かを

理解していないと思う。 (今も?)

 

夫自身も そういう 家庭環境で 育ったんだと 今は思う。

(夫の場合は 「放置系」 かな…)

 

 

 

 

もし 夫が 「寄り添い」 を 身に着けている人であったなら、

私は 継母として 

あそこまで 廃れなかったかもしれない(爆)。

 

継母が 継子に 寄り添うには、

夫(あるいは 近い人) が

  継母に 寄り添えることが 必須なんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

継母になって 数年後、

私も 本当の 「母」 と なったけれど。

心の余裕なんて 全くなかった。

後ろ向きな心 ばかりだった。

 

 だから 実子にも 「寄り添えていたか」 というと…

 

子育てで あの頃に 戻って

やり直したいことが いろいろあるっ(笑)

楽しみたかったことも いろいろあるっ。

 

 

 

 

 

 

今 私の心も 健康になってきて。

 

後ろ向きな心時代の 子育ての 穴埋めに

奔走している状況かも(笑)

 

 

 

そんな中 「寄り添う」 の理解が、

不器用ながら

 ちょっとずつ 進んでいるかな…。

 

 

 

 

 

子どもを 自分の思いに コントロールしようとするのではなく、

(これ、もちろん 無意識に やってしまうんですよね)

 

子どもの思いに 寄り添う。

(「子どもの言いなりになる」 とは 全く別物ですねっ!)

 

 

 

 

 

こうすると、

子どもの 突拍子のない行動も

  以前なら 自分の想定外で カチン と来てたものが、

 

子どもって 面白いなあ って 思える。

 

私も こんな 面白い発想を 子ども時代に できていたのかなあ…

… たぶん できていない …

って 思う…。

 

子どもって 愛しいなあ って 思える。

 

そんな自分をも 愛しいなあ って 思えるようになる。

 

 

 

 

 

 

もしも いろんな事情(爆)で

寄り添い方が 自分の中では 形式的であっても、

相手が 「寄り添ってもらえた」 と 感じられるのなら、

それでも いいと思う。

 

 

 

 

 

寄り添ってあげること は

とことん 聞いてあげること でも あると思う。

 

そして

それに対して 批評 を 絶対にしないで、

そうなんだね、 という 気持ちと、

話してくれて ありがとう という 気持ちを

言葉にして 返してあげたら、

 

それで 相手は 寄り添ってもらえた 経験が 

一つ 増えるんだと思う。

 

   もし 批評したくなったら…

   それは 批評の形ではなく、

   別の形で 伝えることが できることも わかった。

 

 

 

 

 

私の母は 相変わらず、

 人の心には 無関心で、

 状況 とか 見えることしか 見てないから、

 

歯がゆい思いを することが 今もあるけれど。 

 

 

 

 

でも 私は ずいぶん 遠回りしたけれど、

母が気づけていないことに 気づけたと思う。

 

 

 

 

 

 

直接 人に 掛ける言葉。

 

それが 例え

 継子であっても(笑)、 納得いかない人であっても(笑)、

 

  気持ちをくじく 言葉は 直接は 慎み、

  (別の 場所で 吐き捨て(笑))

 

  良き芯の残る 言葉掛けを 

  これから ますます できていけたらな… と 思う。

 

 

 

 

育ってきた 家庭環境によっては、

自然と 「寄り添う力」 を 身に着けている人も 多いのかもしれない。

 

ただ 私は 後天的に 身に着ける運命(?) だったみたいだし、

身に着けるまでに 

くねくねした 道を 通るしかなかったみたい。

 

年齢的にも 人間力的にも 折り返し地点(笑)?

 

 

 

 

未だに 母の背中が 私に にょきっと 現れてしまうことも

あるけれど…

 

これからも 人として 成長していけたら… と 思いますっ。

 

 

 

 

と 最近よく思うことを 取り留めもなく 書いてみました。

 

ここまで お読みくださり ありがとうございました。