今回ご紹介するのは、アユタヤの東端、アユタヤ駅の南にある、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンです。
1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院で、別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」といいます。
仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。
また、遠くからでもひときわ目立つ高さ72mの仏塔は、1592年、20代ナレスワン王がビルマの皇太子との象上の一騎打ちで勝利し、その寺院に戦勝記念塔を建立したものです。
その際、1569年にアユタヤを占領したビルマ王が建てたワット・プー・カオ・トンより高い塔を建てようと試みたが、僅かに及ばなかったと言う。
現代は巨大なチェディ(仏塔)を囲むように何十体もの仏座像が並び、平和な寺院の光景が見られます。
この寝釈迦仏像は、安置している建物が破壊され、雨露に晒されていたわりには、比較的に美しい姿を保っています。白いしっくいと黄衣が印象的。大きな涅槃像。
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔です。仏塔の中央に、仏塔に登る階段があり、その両側に仏像が鎮座しています。とても美しい構成の寺院です。

仏塔の周りには、恐らく百近い数の仏像が鎮座しています。
勿論、ビルマ軍の破壊前には建物の中に安置されていたものですが、今は、野ざらし状態となっています。他のアユタヤ遺跡とは異なり、ここの仏像は破壊されていないものが比較的多いような気がします。
僧侶たちが寝泊りする茶色い屋根の宿舎
1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院で、別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」といいます。
仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。
また、遠くからでもひときわ目立つ高さ72mの仏塔は、1592年、20代ナレスワン王がビルマの皇太子との象上の一騎打ちで勝利し、その寺院に戦勝記念塔を建立したものです。
その際、1569年にアユタヤを占領したビルマ王が建てたワット・プー・カオ・トンより高い塔を建てようと試みたが、僅かに及ばなかったと言う。
現代は巨大なチェディ(仏塔)を囲むように何十体もの仏座像が並び、平和な寺院の光景が見られます。
この寝釈迦仏像は、安置している建物が破壊され、雨露に晒されていたわりには、比較的に美しい姿を保っています。白いしっくいと黄衣が印象的。大きな涅槃像。
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの仏塔です。仏塔の中央に、仏塔に登る階段があり、その両側に仏像が鎮座しています。とても美しい構成の寺院です。

仏塔の周りには、恐らく百近い数の仏像が鎮座しています。
勿論、ビルマ軍の破壊前には建物の中に安置されていたものですが、今は、野ざらし状態となっています。他のアユタヤ遺跡とは異なり、ここの仏像は破壊されていないものが比較的多いような気がします。
僧侶たちが寝泊りする茶色い屋根の宿舎