風信帖を、亡くなった榊漠山が東寺に尋ねて、実物を前に解説するというyoutubeを集めたHPを見つけた。
http://www.geocities.jp/whiteprince1jp/dr18.html
以前から風信帖には王ぎ之の書風に近いものと、それとはどこか異質な何かが入っていると感じていたが、
空海は顔真卿の書風を自分のものとして取り入れているという。とても合点がいった。今は忙しくてゆっくりとは見れないが、時間のある時にじっくりと見てみよう。
それにしても1200年前の書がTVの前ではつい昨日書かれたように見えることにも驚いた。
先日、家の物置から出てきた桜谷の書を目の当たりにした時も、まるで墨が匂ってきそうな程であるのに目を回したが、空海のものですら、これだ。ゆうに1000年以上は経っている。
簡単には比べられないものの、ダビンチの最後の晩餐があれほど風化しているのとは大違いだ。この違いは何に由来するのか。いずれにしろ、我々は先人の残した芸術を(本人は芸術と思って残してはないにしても)このように作られた当時のままの姿に触れられるのは、実にありがたいものだ。
実物の風信帖を一度この目で見たいものだ。
http://www.geocities.jp/whiteprince1jp/dr18.html
以前から風信帖には王ぎ之の書風に近いものと、それとはどこか異質な何かが入っていると感じていたが、
空海は顔真卿の書風を自分のものとして取り入れているという。とても合点がいった。今は忙しくてゆっくりとは見れないが、時間のある時にじっくりと見てみよう。
それにしても1200年前の書がTVの前ではつい昨日書かれたように見えることにも驚いた。
先日、家の物置から出てきた桜谷の書を目の当たりにした時も、まるで墨が匂ってきそうな程であるのに目を回したが、空海のものですら、これだ。ゆうに1000年以上は経っている。
簡単には比べられないものの、ダビンチの最後の晩餐があれほど風化しているのとは大違いだ。この違いは何に由来するのか。いずれにしろ、我々は先人の残した芸術を(本人は芸術と思って残してはないにしても)このように作られた当時のままの姿に触れられるのは、実にありがたいものだ。
実物の風信帖を一度この目で見たいものだ。