amebaブログの読者の皆様こんにちは。昨日に引き続き、戸籍からお届けいたします。

廣田佳子は、藤澤家は「生き残っていた」という事を声高に言いたいのです。藤澤家は徳川家の合戦から、滅んでいません!

戸籍の記載の仕方が行政が変にしていますので、はっきり曽祖父の名字として、「藤澤」が載っていないことが、もしかすると行政からの嫌がらせ?とも取れますね。妹さんには藤澤と載っているわけです。天皇家の末裔をわからないようにして「人体実験」をしようと、諸外国等が裏から戦争を引き起こし、氏来歴等をわからないように勝手に被らせ氏来歴を一般人に見せかけていこうとの魂胆もあったかもしれませんね。諸外国が国のグローバル化に乗じて、恐らく、天皇家の末裔を単一民族である日本人への

軍事技術開発に利用しようとしてきた可能性がうかがわれます。等と、廣田は個人的に推察しています。

このような感じですね。

 

「品五郎」記載があります。がこれが、臼杵大友家(豊後領主)より田畑など賜り、大友宗麟の客将となりました。

曽祖父は、嫡出子ではあったものの、幼いうちに父、藤澤品五郎と死に別れたため、

豊後国北海村高須村、藤澤館主だった、藤澤品五郎の名前を継承、すなわち、受け継いだという事になるのではないでしょうか。

本日もご拝読ありがとうございました。ちなみに、祖父は、廣田秀度から廣田昌度に改名してます。その戸籍もアップしておきます。

文責廣田佳子はハンドルネームエアゼキウリエルです。令和5年5月25日午前9時42分