エアゼキウリエルより転用記載2021年5月28日記載文修正改定版

 

以前、あるブログに、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」について記載があり、

その一考察にて「怒り」について、

私は、何かウィトゲンシュタインに不足しているのだと、私には思えたため、

少し考えてみた。

 

我流なが「怒り」とは「社会正義」によるものという論理付けを付与したいと思う。

それでいながら、その信念のベースになる根底の「愛」によってのものから生み出されていくものと思う。

 

「怒り」には嫉妬や妄想、思い込みなどのマイナスイメージのみならず、かえってそのマイナスな人間の感情から、

社会正義の反対ものが生み出される懸念があり、かえって悪い波動を生み出し、社会の波動形成において、

悪い波動をまき散らすことによってアンバランスとなり、生み出されるものが邪悪での生み出された産物となり、

それに気づかないままで波動の複合汚染において、

邪悪なリバイアサンみたいな怪物が生み出されていくことが懸念されていくからである。

 

それに対して、「正義」「社会正義」といったよりよきものを生み出せる波動を生み出せるものは、

常に良い波動を生みだされていくプラスの光エネルギーのバランスとの

複合的な良い調和はよい「信念」といったものや「正義感」「誠実さ」などといったよい屋台骨をもつものからの、

各人から生み出されるそれぞれのより良き複合的な音楽を生み出すハーモニーとなる。

 

それこそが、宇宙の神の波動そのものであって、

神の指揮の基、音楽を奏でる我々の地球全体の愛のハーモニーとなる。

 

その質量と分量が大きければ大きいほど、

奏でる愛のハーモニーは調和の和は大きくなっていき、

愛の分量は更に数学的なものでの広がり方とともに、

その時々の時間・空間・その環境などとの宇宙全体のバランス共に、

時代とともに、調和が奏でられるものとなる。

ハーモニーが邪悪なものを浄化し、愛と正義と誠の信念の屋台骨となって、

それは、すなわち神様の音楽隊となって社会正義とともに、

よりよい時空間とともに世界の波動が広がって影響をし続けていくのだと思う。

我々は、その行動、行為こそが、神さまのもとに素晴らしい調和を生み出していくように努めていく事が、

それ、すなわち、一例をあげるならば、社会貢献となるものでもある。

小さいところであり、大きなところでもある、家庭円満の秘訣でもありながら、

それはそこからの波長が生み出されるが、

それは家庭や地域社会等のコミュニティのような単位のレベルから

、国家、ひいては地球全体の相互の関係による全ての調和、である。

 

しかしながら、これは自分と周囲の境界がきちんとした境界線がありながら、

自分の事を大事にしつつも、相手の事も思いやれる、そういう大人な関係であることが、大切なのだと思われる。

ご拝読ありがとうございました。                              writed by 廣田佳子

 

参考文献:ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」岩波文庫