ゼロ戦に乗っていた。
愛媛県の松山の海軍航空隊に所属し、戦時中はそこにいたと聞いている。
伯父は、ゼロ戦にて敵機を粉砕するべく、決意し、旅立った。
しかし、なんとその日は終戦日。
終戦を迎え、奇跡的に生き残った一人だった。
伯父は、私の父とともすれば、父以上にかわいがってくれた
”心の英雄”だった。
伯父は、高倉健のように剛毅木訥な感じの人だった。
”真の男”って感じの方だった。
人に対して口数少ないけれど、
黙って、自分の家になった木の実等を佳子の為に等と、私の顔を見に来てくださり、食べ物など時々置いていく人だった。
子供のいなかった伯父は、私を養女にと本気で思っておられて、
小学校5年の時だったかな?にまで、帰りしな迎えに一度来られ、
佳子の本音を聞きたいといわれたこともあった。
うちの母に裁判してでも、私を養女に迎えたい等とも言っていたぐらいだった。
母も考えるところがあって、その話は亡くなった。
車の無かった私達兄弟を連れて、天川に時折連れて行って下さったり、
長崎にドライブで連れて行ってくれたり、楽しかった思い出がある。
しかし、なぜか、いつの間にか成人の時に伯父にいただいた金貨(私と弟にもいただいた二つ共)と、
写真が無くなっていた。
そして、松山でとった写真が残っていたはずのものが、消えていた。
うちの家には、やはり、度々、変にものが奇妙に紛失していくのが、
ガスライティングのように思われることがある。
伯父が生きていたら、どのように話してくれるのだろうか?
大好きだった伯父さん。
伯父は、私の父とともすれば、父以上にかわいがってくれた
本当に”心の英雄”だった。
伯父さん、安らかに、お眠りください。