千䈎家の月に星の家紋を身に着けた、
千䈎清治郎(雅号:千葉天水)の紋付き袴姿を見やすく写真を修整いたしました。
千䈎本家がうちの母・廣田德子(とくこ、と読む)(旧姓:千䈎德子)の結婚式に集まった写真です。
「德子」と付けた由来は、建礼門院德子からいただいたとのこと。
ちなみに、女紋は母が言うには三つ桐のような家紋です。
私の婚姻していた時期に、千䈎家の女性家紋である、
母の三つ桐のような家紋のついた着物と羽織がなぜか紛失してます。
一つの家に家紋が男性と女性分けて二つあるのは、貴重であるそうです。
松尾山のお上人様もそう話されておられました。
母が言うには、三つ桐という家紋は誰にでも許されるものではないそうです。
千䈎家本家だけに許された家紋なので、
一般の家系に許されないため、
勝手に使用されては困るのですが、
一体どこにあるのでしょうか?謎です。
見かけたら、ご一報ください。
日本の伝統である一つの家系の家紋を勝手に利用使用しようとする可能性もあるかもしれません。
松尾山の千䈎城の方には、男性家紋しかないそうです。
松尾山の城の後ろを松浦党から守るための、
城を守護するために、佐賀県の天川の厳木町に住まう、
徳川家康からの命を受けたこともあると、
本立寺の和尚さんはその歴史を2017年の伯父達の亡くなった際にお話しを初めて聞きました。
千䈎本家の末裔、それが、私達廣田家の私と弟、直也もその子孫にあたります。
そして、私たちは、神武天皇の子孫でもあります。
長年、日本の図書館協会に貢献した、
千䈎治 叔父も写っています。佐賀県の佐賀市立図書館を作った初代館長で
東京の墨田区の八広図書館館長を長年してきたとお聞きしています。
「図書館長の仕事」という著作等もあります。
そして、その下の弟であり、
7か国語以上を操り、パラリンピック等の通訳をしていた、
千䈎胤和も写っております。右から二番目が千䈎チモで、義理の祖母です。佐世保出身(後妻)
皆、懐かしいですね。
日本人古来の家系で、これまでわかっていなかった、千䈎家の歴史を書く方が良いと判断して書いております。
これまで、千䈎家に何等か様々ないいこと悪いこと等が起こり続けたし、うちの母の結婚も日本の古代からの歴史のエピソードである、
千䈎本家の歴史の一つの出来事の一つとして書き記しておきます。
令和4年10月30日PM18時26分