母は、千葉家の人間である。
桓武天皇の子孫で、建礼門院徳子(平徳子)からいただいた名前である。旧姓、千葉德子(ちばとくこ)。
菩提寺は本立寺であり、日蓮宗の戒名では「院殿」という殿様ぐらいにしかつけられない戒名がつけられている家系であり、
松浦党から城の裏側を守護するために、本立寺を建てて、守ったと聞いた。弓の名手らしい。
みよ子伯母は絵手紙の本を自費出版している。
東京の墨田区等の図書館、八広図書館の館長だった、千葉治叔父が、その本を推薦していた。
佐賀県でも佐賀市立図書館を作っていた。私の叔父である。
千葉家の伯母は天皇陛下の御前で弓の的射を行ったことがあると聞いている。
うちは、千葉本家であり、
千葉城とはもちろん同門である。
それでも、家紋が分かれており、月に星、という男紋は同じだが、
本家にしか与えられない家紋があり、
うちの千葉家は本家だからと、家紋へのこだわりがあった様子だった。
うちの伯父はそういえば話していたようだったが、
九曜紋とかなんか、妙見信仰のもので、よく私も知らないので、
この辺は、また、聞いておかねばならなかったと言える。
また、そのうち従兄に聞いてみよう。
女紋がうちの千葉家にはあり、男女でそれぞれに分かれており、
松尾山では、初めて女紋の存在を聞いたと昨年言われた。
あまり交流してこなかったのと、代替わりしたのもあるのだろう。
祖父の代まではちょくちょく行き来があっていたらしいが、
伯父の代にはあまり交流がなかったのか詳細は不明である。
恐らく、同門であっても、男紋と女紋があるのは大変貴重らしい。
それゆえ、貴重な資料となる。
「三つ切りの女紋」、という家紋は、
なかなかないレアものなのだ。
しかしながら、それを、預け先に紛失し、元に戻ってこなかった。
歴史の一つが消えてしまったことになるのではないかと危ぶんだ。
しかしながら、従兄の奥さんに確認したところ、
伯母の方には、あるとのことだったので、よかったと胸をなでおろした。
当時、徳川家康からその命令を受けたとか聞いている。
「三つ切りの女紋」という家紋はどう関係しているのかどうかはわからないが、
千葉家の女紋が紛失し、行方不明なのは間違いない。
いつか誰かが見つけてくれて、うちの母の元に戻ってきたら嬉しいです。