実家の母の事に触れたので、父の事にも触れておきたい、

 

私の実家の父方は、

村上天皇の子孫で藤澤(信州、伊那)箕輪城主だった藤澤家の末裔である。

落城後

四国を経由し、九州豊後大友宗麟の客将となった経緯がある。

 

父の曾祖父藤澤品五郎が

藤澤家の相続者であった。

 

継嗣、藤澤品雄が4歳の時、(慶応4年)父藤澤品五郎死去の

為、叔父藤澤田右衛門が藤澤家を相続し、

 

品雄は、大分の庄屋の養子となり、

廣田光成と改名した経緯がある、村上天皇の子孫である。

その子供は(私の祖父は)廣田秀度は三菱銀行が財閥時代に、

兵庫の西須摩の銀行に勤め、

三菱銀行の浅草支店長代理や上海支店に勤めていた時代の

上海でうちの父は生まれた。

 

いうなれば、源氏と平家が合わさり、よい協力関係が、

今の現代社会において、”廣田家の家族という姿”によって、

現されている歴史的協調関係であるともいえる。

 

うちの家族は、一つの歴史的いさかいが和合したものが表れ出た、

社会における一つの具現化したものであり、

表面に現れ出てきた、

平和といわれるものになってきているある意味、象徴ともいえるのかもしれませんね。

 

当時の貴重な写真がある。乗せ方がわからないので、

できるようになったら、のせたいと思う。

インターネットができなかった時代に、父が自らまとめた本や家系図から参照しました。