【今回の記事】

《空手教室でお漏らし……アンガールズ田中がいまでも感謝している師範の神対応》


【記事の概要】

 僕が小学1年生から5年生まで通っていた空手道場の師範はとにかく規律に厳しかった。(中略)稽古に行く前にサイダーをがぶ飲みしてきたのが良くなかったのか尿意に襲われてしまった。道場の寒さも手伝って、またたくまに限界ギリギリに達してしまった。「トイレに行かせてください」の一言が言えればいいのだが、そう言ったら「何で始まる前にトイレに行ってなかったんだ」と激怒される。恐怖で言い出せなかった。その後僕の尿は正座した僕の周りに広がる水たまりと化した。僕は思わず「あれ?床から水が出てきた…」と誰もが分かる嘘をついた。

 ところが、それを聞いた師範は「あ~そうか、なんか地下水が出てきたんかなぁ、ちょっと誰かモップ持ってきてくれ、水が出ることあるからな~」と神対応。
 大人になって考えてみると、その自分のついた嘘は、どう考えても通用するような状況ではなかったが、あの時怖い師範が、僕を傷つけないように僕の嘘に、嘘で乗っかり、周りの生徒から守ってくれていたことにも気づいた。

【感想】
 もしもこの時師範がみんなの前で田中少年のことを叱っていたらどうなっていたでしょうか?後々まで心の傷として残るトラウマにさえなっていたかも知れません。
 それほど深刻ではない日常の問題(「約束の時間を忘れてテレビを見ている」等)に対しては基本的には「①母性(受容)②父性(指導)」ですが、この師範は「あ~そうか、なんか地下水が出てきたんかなぁ 」と①をした後に②をしませんでした。
それは私が提案している、子供自身も落ち込むような“失敗”をした時こそ重要な「段階的注意」(以下記事「まとめプレゼンテーション13」の3枚目のスライド参照)による対応です。


 このケース程ではなくても、子供は何度となく失敗する生き物です。その度に叱っていると、少しずつ子供にストレスが溜まり、最終的には子供への愛情不足(否定や放任)による「回避型」の愛着不全(→以下記事 「まとめプレゼンテーション4」の2枚目のスライド参照)に陥らせる危険性を精神科医の岡田尊司氏が指摘しています。


 この「段階的注意」の支援は、下記「子育ての全体像」中の「②ーB」、つまり子供が何らかの問題を抱える「不安場面」の中でも、「登園を渋る子供」や「家族への言動が乱暴な子供」等、子供にとって深刻な問題であるケースの仲間の支援として位置づけているものです(図中の青色枠囲み部に「『段階的注意』を含む」として記載)。


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 子供にとって、宿題をしなかった、大事な約束をすっぽかした、人に怪我させた等をしでかしてしまったことは、「登園を渋る子供」や「家族への言動が乱暴な子供」等のように原因が長期間に渡るものではないけれども、親に見つかるまでの間「どれだけ怒られるだろう…」と強い不安に駆られています。そのため、自分の辛さを母性で受け止めてもらうだけで十分反省をするので、あえて父性による指導を加えて追い詰めるまでもありません実際、この記事の記述からすると、田中少年は、この後同じようなお漏らしはしていないように思います。もしも同じ失敗をした場合には、その時に指導による父性を施せばいいのです。


 なお、それほど深刻ではない日常の問題と捉えて「①受容」の後に「②指導」を加えるかどうかについては、親御さんが「今の問題はこの子にとって深刻か?そうでないか?」を判断して決めていただくことになります。同じ失敗でも、親に普段から寛容な態度で接してもらっている子供にとってはそれ程深刻ではない(=不安感がそれ程強くない)場合もありますから。あくまでもその子供の実態によります。



 最後に、この場をお借りして子育ての全体像をおさらいします。

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 子供の生活場面は全部で3つ。支援は2つでした。

①「活動場面」(子供が熱心・熱中の時)には「見守り4支援」による父性

②「不安場面」(子供が問題を抱えている時)には先ずは「安心7支援」による母性。

 その後

(A)問題がそれほど深刻でない場合は父性による指導も加える。

(B)深刻な場合には何もせず子供の自力回復を待つ。(今日の事例はこれに含まれる)

③「日常場面」(子供がくつろいでいる時)には「安心7支援」による母性。


「安心7支援」については下記記事の3枚目のスライド参照。

「見守り4支援」については下記記事の2枚目のスライド参照。