【今回の記事】

NHK「チコちゃんに叱られる」(8月21日放送分)

《今回の疑問》

「子どもが狭い縁石の上を歩くのはなぜ?」


【記事の概要】

「子どもが狭い縁石の上を歩くのは、(♪ドンドン♪)限界に挑戦して己の能力を高めるため〜」(byチコ)


 子どもの行動には「アフォーダンス」が強く関わっている。「アフォーダンス」とは、ボタンは押す、出ているティッシュはつまんで取る、ドアノブは握って開ける、等、私達が普段行っている動作の手がかりを与えてくれる環境や特徴のこと。例えば赤ちゃんは、このアフォーダンスを発見する度に、新たな動作を学習し続けている。

 子どもにとっては縁石が歩きのアフォーダンスの対象になっていて、わざとその上を歩くことによって自分の能力を高めようとしている。


【感想】

 以前このブログで次のような記事を投稿しました。

理解できない子どもの行動 〜その背景にある人間の根幹に関わること〜


 この記事では、「小さい子ども達は、親が『危ないし、片付けるの面倒くさいし、意味無いことやめて欲しい』と思う不思議な行動をしがち。例えば、水を勢いよく飛ばす、おもちゃを全部出してはしまう、ティッシュをいつまでも出し続ける、同じ色の服ばかり着たがる、高いところに登る、狭いところに入りたがる、棒が落ちていると必ず拾う等。これらの遊びは、A.  “安心を求める遊び、B.  “好奇心を満たす遊び、の二つに分けられる」


 この記事中で「好奇心を満たす遊び」に分類したのが、「高いところに登る」「棒が落ちていると必ず拾う」「水を勢いよく飛ばす」「ティッシュをいつまでも出し続ける」でした(その根拠や「安心を求める遊び」については上記記事参照)。

 先の縁石のような「アフォーダンス」は、大人にとっては子どもの頃に経験済みで挑戦意欲は湧きませんが、幼児にとってはほぼ未経験の行動刺激であるため、あえて挑戦してみようと思うのです。つまりこの「未経験の行動をしてみたい」と思う心理は、子どもの知的好奇心を満たそうとするものと同じ意味を持つものと考えられます。

 ちなみに私は、散歩をしているときに、自分がまだ通ったことのない道を見つけると、「どこに通ずる道なのかな?」と思って、ついそちらのほうに足が向いてしまいます。きっと私にとっては、“見知らぬ道”が「アフォーダンス」になっているのだと思います。


 さて、縁石歩きも延々と繰り返されるティッシュ抜きも、大人にとっては「危ないからやめたらいいのに」「どうしてこんなことするの?」とイライラしますが、子どもにとっては知的好奇心を満たすだけでなく、自分の能力を高めるためのチャレンジ行為なのですね。子どもの活動場所を積極的に提供(上記記事中の最終項「迷惑になる行動をどう考える?」参照)したり、事故に合わない配慮をしたりしてあげて、「ガンバレ!」と応援してあげたいものです。


 因みに上記ブログ記事では、「ティッシュ抜き」は、ティッシュペーパーが箱の取り出し口と擦れ合う感触を体感しているという専門家の指摘を紹介しています。大人で言えば、麺をすするときに唇と擦れ合う食感と似ているでしょうか?そうだとすれば、子どもにとってみれば、かなり魅力的な感覚でしょう😅