【今回の記事】
戦後日本を読む 金属バット殺人事件」佐瀬稔(読売新聞社1997
 

 今回、またもや金属バットを凶器にした家族内の殺人事件(1980年、神奈川県川崎市)を取り上げました。
 しかし、今回は息子が両親をバットで叩き殺した事例です。ただ、単に被害者と加害者との関係がこれまでの逆になっていたために、記事としてとりあげたのではありません。そこには、一般の家庭でも気をつけなければならない、とても重要な注意点が潜んでいました。そのことをお知らせしたく、とりあげました。
 
 以下に、上記書籍から、事件の発生に関わったと思われる点に絞って、かいつまんで内容を紹介していきます。加害者である次男が、なぜその時に凶行へ走ったのか、考えながら目を通していただければと思います。
 
【記事の概要】
(父親に懇願して何とか二浪を許してもらっていた次男は)111日、久しぶりに予備校に顔を出す。早大受験模擬試験。コンピューターが採点して、戻ってきたプリント・アウトには「英語44点、国語36点、偏差値43.7」とある。早大の合格圏内とされる偏差値は65から67.4。まぎれもなく、絶望である。
 1125日の深夜、次男はテレビの上の父親の定期入れから銀行のキャッシュ・カードを抜き取り、26日の朝、父親が気づかぬ間に銀行から一万円を引き出し、ウイスキーを買った。その後、戻す機会を待ってひとまずカードを自分の部屋に隠す。
 28日、父親は私鉄駅前のスタンド割烹で焼酎のミネラル・ウォーター割を6杯ほど飲み帰宅した。帰るなり、一階から大声をあげて次男を呼びつける。
 次男は父親の声の調子で、カードのことがばれたな、と悟った。
「そこに座りなさい」
と母親。いつもなら、叱り役は父親で、母親はそばで話を引き取り、息子をいましめ、父親の怒りをなだめる、という役を演じる。しかし、今晩はどうもそうではないらしい。母親の口調は中立の調停役ではなくて、彼女自身が検事の側に立っているように聞こえる。父親が口を切った。
「定期入れから銀行のキャッシュ・カードがなくなっている。外で落としたり盗られたりするはずがない。お前がやったんだな。そうだろう」
次男はごまかしようがないと知ってうなずいた。
「それだけじゃない。財布からちょくちょく金が無くなっているのもお前だな。泥棒の真似なんかしやがって」
この瞬間、次男の頭に退路がひらめいた。キャッシュ・カードのことは逃げようがない。しかし、現金を抜いた覚えはない。この点に関する限り、父親の言い分に正義はないのだ。
「確かにカードを取ったのはこの僕だよ。すみません。しかし、現金なんか知らない」
母親が口をはさむ。
「ふざけている場合じゃないでしょう。あんた以外に誰が取るの」
母親までが父親の側に立って自分を責めている。いつもの抑圧の流し口は閉鎖された。
 
 次男は席を立ち、足音荒く二階へ行って、本棚の間に隠しておいたカードを取ってきた。父親はそれを受け取って、更に罵る。
「いいか、オレは泥棒なんかに育てた覚えはない。そんな根性では大学へ行ったってしようがない。大学なんてやめてしまえ」
「あんたには呆れたわ」
と母親。
「知らないものは知らないとしか言いようがないじゃないか」
父親が
「もういい、行け。くだらん言い訳を聞いたって腹が立つだけだ」
と突き放した。
<ふざけやがって、二人とも、人の言うことも聞きやがらねえ>
 
(その後、キッチンで母親と二人きりになった次男)
 てっきり母親が「あなた、本当に取ってないの?」ととりなしに回ってくれると思ったのに、母親の態度はさっきと少しも変わっていない。
「いいかげんにしなさいよ」
「いいかげんも何もないだろ。とにかくやってないんだから」
「いつまでそんなこと言ってるの」
その後母親はぞっとするような声で言った。
「あんたには呆れたわ」
「何とでも言ってくれよ」
次男は母親に背を向けて部屋に戻った。
 
 彼は、キャッシュ・カードを使って引き出した金で買ったウイスキーのことを思い出し、ポケット便に口をつけて口飲みでぐっと一口飲んだ。茫然と壁を見つめていると、突然、扉が開いて父親が部屋に入ってきた。
<まずい。こんな時に入ってくるなんて>
父親は、
「酒なんか飲んで何事か」
と叫ぶなり、右足を上げて息子の横腹を蹴りつける。息子は座っていた椅子ごと横倒しになった。
「ふざけるな。何だ、その態度は。お前は普段からなっとらんのだ」「大学なんかやめろ。明日出ていけ!」
怒鳴りつけると、扉を荒々しく閉めて部屋を立ち去った。
<明日家を出ていかなければならない。一体、どこへ行けばいいのか。一人で生計を立てていけるはずがない>
彼の心はポッキリと折れていた。
 
 母親に「あんたには呆れたわ」と突き放され、父親に足蹴にされてからもう二時間以上たっている。その間に受けた衝撃が冷える代わりに、新しいものがぐんぐんふくれ上がっていた。狼狽、困惑、屈辱、不安、怒り、それがただ一つのもの、すなわち殺意にとって代わっていたのである。
(この直後、次男は部屋に立てかけていた金属バットを手に取り、犯行に及び、両親を即死させた)
 
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 さて、この次男が犯行に及んだ要因は何だったのでしょうか、それについての私の考えは、明日の「感想」の中でお話ししたいと思います。