前々回の記事で紹介した司馬理英子氏の著書「(発達障害)気持ちが伝わる“かわいがる”子育て~スマホをおいて、ぼくをハグして!~」。
   この本の特徴は、子どもの声や実態を大切にしていることです。その思いは、司馬氏のクリニックに受診に来た子どもの事例を基に、子どもの目線からの気持ちを紹介した「○君の気持ち、本当に知ってほしいこと」という件によく表れています。
   そこで、今回は、司馬氏のクリニックを受診しに来た子どもの事例を紹介します。
 
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親が過干渉、過保護の女子大学生Kさん
 Kさんは、大学一年生の時から単位がほとんど取れていません。履修届を提出できなかったり、課題の提出が間に合わなかったり、出席日数が足りなくて単位を落としてしまったり、
   定期券やスマホを失くしたりと、不注意がひどく生活に支障をきたしているKさんを見て、「これは絶対テレビでやっていたADHDだ」と確信した母親に伴われて本クリニックを受診しました。
 Kさんはほとんど話さないままに、母親が子どもの状態について歯がゆさを隠しきれない様子で、早口で訴えます。こちらが話を聞こうとしても、Kさんの口は重く、横から母親が突っ込みを入れたり代弁してしまったりするので、なかなかKさんの言葉は聞けません。
 それでも少しずつ話を聞いていくと、中学受験の時も、大学を決める時も、学部などの進路についても、これまでKさんが決めることはなかったことが分かりました。Kさんがなかなか決めないので、親が先走っていろいろなことを決めてしまうのです。学校から出されて課題をするのにも、お母さんが何度も声をかけて叱咤激励し、時にはお母さんが言った通りのことを読書感想文に書くこともあったとのことです。
「自分でちゃんとできなくて、私に助けを求めるかというとそういうわけでもなく、結局、夏休みがもうすぐ終わるという時に、私が助け舟を出すしかないんですよ」「大学生になったんだから、自己管理もある程度できるようになったのではないかと期待していたのに、もうショックです。先生何とかしてください。」とお母さんは訴えます。
 
Kさんの気持ち、本当に知ってほしいこと
 これまではなかなか言えなかったけど、私の人生はいつも親が決めるんだなとつくづく思う。小さい頃は、こんなものなんだろうと思っていた。と言っても、小さい時の記憶ってほとんど無いんだけど。
 友達の話を聞いていて、どうしてうちはみんなの家と違うのだろうと思うようになった。私自身もそれまで気づかなかった。
 小さい頃から外食するときも「何が食べたい?」と聞かれて考えているうちに、「早くしなさい。分からないんだったら、○○にしておきなさい」。いつもこんな感じ。あと少し時間をくれたら私だって決められたかもしれないのに。でも私って、何がいいかなと考えだしても、あれこれ迷って考えすぎて、結局は分からなくなってしまうことが多いんだけど。
 それに比べて私の妹はいつも自分が欲しいものが分かっている。そして何が食べたいか、何が欲しいか、何をしたいかをはっきりと主張する。食べたいもの、見たいテレビ、買いたいおもちゃや本、欲しい服。妹はそれをすっと口に出して結局手に入れる。
 私だって欲しいものはあったけれど、それを口に出すのが簡単じゃない。考えているうちに、いつも「遅い」と言われる。それで私の考えはフリーズしてしまう。迷っているうちに、親が決めてしまう。
 そんなことが続いているうちに、自分で決めるのがますます苦手になっていった。高校を決める時も、大学の学部を決める時も、こんな感じ。いつの間にか親が決めたところに私はいる。
 大学って行ってみてすごく驚いた。広くて人も多くて、履修届も何がなんだか分からなくて、どこの教室に行けばいいかも分からない。高校では助けてくれる友達もいたけど、ほんと分からないことだらけ。これでいいのかと不安がどんどん膨らむし、すごく疲れちゃった。
 
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   今回はここまでです。明日は、司馬氏本人による「治療の方針」と私の「感想」をお話しします。
 このKさんの事例が決して“対岸の火事”ではないこと、更に、Kさん以上の重大な事態に陥る可能性も少なくないことが分かるかもしれません。