(前回の続きです)
 その後、私は新幹線に乗り込みました。途中停車駅は、上野、大宮、その後仙台まで止まらず、更にそれ以後の各駅です。
 
 さて、その後私は、ふと斜め後ろの方からある女の子の話し声がすることに気がつきました。その声がする方に目をやると、私の座席(8番のE)よりも一段後ろの反対側の席(9番のAB)で、5、6歳くらいの女の子が隣にいるお母さんと思われる女性に盛んに話しかけていました。女の子は、とても楽しそうに話しかけていましたが、とても小さな声だったので、その内容をはっきりとは聞き取ることはできませんでした(おそらく「新幹線がもうすぐ○○駅につくね」のような話だったと思います)。それに対してお母さんも何か話を返してはいましたが、やはり声が小さくて内容までは分かりませんでした。ただ、そのお母さんは、できるだけ女の子の視線の高さに合うように少し上体をかがめ、笑顔を絶やさずに女の子の話に耳を傾けていました。

   私は驚きました。それは、私がその女の子の声に気がついたタイミングです。実は、私が声に気がついたのは、新幹線がもうすぐ仙台駅に着くころだったのです。つまり、その女の子は、少なくとも大宮駅からはその座席に座っていたことになります。しかし、女の子はそれまで私がその声に気がつかないくらい静かに、その長い時間を過ごしていたのです。因みに、私はその間一度も寝ていませんが、仮に、女の子の方が大部分を寝ていたとしても、その子が眠りに入る前に私が子どもの存在に気がついても良さそうなものです。
   また、その女の子がそういう声しか出せない子どもではないことは、その子が下車した時に分かりました。なんとその二人は偶然にも私と同じ駅で降りたのですが、新幹線から降りるや否や、子どもらしく自分達が乗るエレベーターまで駆け出し、「お母さん、早く早く!」と元気に話していたからです。

   さて、新幹線での長時間移動となると、普通は子どもが他の乗客に迷惑をかけないか心配になる親も多いものですが、なぜあんなに幼い子どもが、他のお客様の迷惑にならないように、長時間声の大きさを気にして過ごすことができたのでしょうか?


決してお母さんが力ずくで我慢させていたのではないことは、その二人の表情から容易に分かりました。
   結論から言うと、私は、その女の子がお母さんのことを大好きだったからではないかと思いました。子どもが自分の好きな大人の言うことをよく聞く生き物であることは、30年間の教職生活からも分かっていました。子どもから好かれる先生が担任している学級は、一つの例外もなく、学校生活でのルールやマナーをよく守っていたからです。つまり、子どもは大好きな大人の言うことに対しては、心から耳を傾けその通りにしようと努力するのです。その女の子も、大好きなお母さんから「乗り物の中では静かにしようね」ということを聞いていて、その通りに行動したのだと思います。

   ではなぜ、その女の子はお母さんのことが大好きだったのでしょうか?それも、そのお母さんの様子から想像がつきました。先ほどお話ししたように、そのお母さんは、女の子の視線の高さに合うように上体をかがめ、笑顔を絶やさずに女の子の話に耳を傾けていました。それらの行為は、正に、人と人との心を愛の絆を繋ぐ「安心7支援(愛着7)」の中の「②子どもに声をかけられたときには子どもを見る」、「③子どもを見る時には子どもに微笑む」、「⑤子どもから話しかけてきた時には子どもの話をうなずきながら聞く」だったのです。また、女の子の話に対して時折返すお母さんの話も、セリフまでは聞き取ることはできませんでしたが、おそらく「④子どもに話すときには穏やかな口調で話しかける」ような話し方であっただろうことも、そのお母さんの表情を見る限り想像に難くありませんでした。おそらく、普段からそのような態度でお子さんに接していらっしゃるのだと思います。
   これらの「安心7支援」のような愛情行為で接してもらう子どもは、その大人のことが好きになるということは、以前から「安心7支援」の投稿記事内でお話ししていた通りです。それこそが、親子が「愛着」という愛の絆で繋がっている姿なのです。

正しい支援をすると子どもはこれ程の成長を見せる」、正に家庭教育の「明」を教えられた思いがしました。

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   家庭教育に関する学会で、本来の母親や父親の姿を発表してきた私が、旅の帰路で偶然出会った家庭教育の“暗”と“明”の姿。それらを見た私は、今後、正しい養育情報を世の中に発信していくことを改めて心に誓ったのでした。(その為には、まず、発信するにより相応しい情報にするための検証の場を見つけないと…!😵)