先日、あるスーパーへ行った買い物に行ったときのことです。

    店内を歩いて品物を探していた時のことです。ある店員さんが陳列棚の品物を整理していました。すると、私が近づく気配を察して、品物を整理しながら「いらっしゃりませ」と声をかけてくれました。それまで、そのお店に行くと、レジ以外であった店員さんから挨拶をかけられる事はそう多くはなかったので、私はその時は好感を抱きました。

    その後、別の場所の品物を見た後、偶然、またさっき挨拶をかけられた場所に戻りました。すると、あの店員さんがまだ陳列棚の整理をしていました。その店員さんは、また私が近づくと気配を察して、品物を整理しながら「いらっしゃいませ」と声をかけてきました。わずか2、3分の間に、同じ店員さんから2度挨拶をかけられたのです。その時は私は「さっき挨拶をしたお客さんに、すぐにまた挨拶をしなくてもいいのではないか?」と違和感を覚えました。それと同時に、どこか機械的で冷たい印象さえ受けました。

    しかし、おそらくその店員さんには「同じ客に続けて挨拶をした」と言う認識はなかったと思われます。なぜなら、その店員さんは陳列棚の整理をしながら視線を品物のほうに向けたまま挨拶をしていたからです。仮に、私の方に視線を向けていれば、1回目は挨拶をかけていても、2回目には「さっき声をかけたばかりのお客さんだ」と気付いて、“会釈”だけに留めていたのではないでしょうか。


    ちなみに、学校現場で学級を担任している教師も、往々にして子供たちに視線を送らずに声をかけてしまっている場面があります。それは、毎朝行う出席確認の時です。数十人の子ども達に対して出席簿にチェック印をつけながら子どもの名前を呼んでいると、どうしても子どもに視線を送らずに済ましてしまうことが多いようです。

    しかし私の経験上、出席確認を一人一人の子どもの顔を見ながら行うことはできます。しかしそれは、私が特別な能力を持っているからではありません。単に、“相手を見る”ことが、自分との間に「愛着(愛の絆)」を築くための愛情行為の一つであることを「愛着7」によって“知っている”だけです。


    ですから、きっとスーパーの店員さんも、そのことを知りさえすれば、お客の気配を感じた時に、一瞬でもそちらに視線を送ることはできるのではないかと思うのです。その時に「愛着7」を知っていれば更に、“微笑み”、「いらっしゃいませ」と“穏やかな話し方”で声をかけることができます。

    ちなみに、この3点セットで出席を取った時の子ども達はどの子の目もとても生き生きとしていました。もちろん元気に挨拶できた子には“褒める”ことも忘れずに…。


その間に必要な時間は1秒ですが、お客さんとの間に築かれる“絆”は長く続くものです。



    なお、“お客さん”が“子ども”で、“店員さん”が“親御さん”と考えれば、「子育て」の中にも同じような場面がいくつもあるのではないでしょうか?