【ツイート①】

「私は娘に、登校中でも『学校に行きたくなかったら 喫茶店でもカラオケでもいいから、学校サボって行ってもいい』と言ってある。『補導されたら?』『学校から連絡来たら?』と娘は聞くけれど、警察や学校には きちんと説明するから。大丈夫だから辛くなったら堂々とサボりなさい。」と言うツイッターで見たあるつぶやき。

   昨今叫ばれている「いじめ等で学校が辛い時には無理して行かなくてもいい」という考えの一端だろうと思われる。しかし、「学校が辛くなったら」という基準は全て子供に任せていいのだろうか?どんなことで辛いのかを親は知る必要があると思う。「行きたくなければサボってもいい」という拡大解釈は危険である。


【ツイート②】

記事「「障がいからくるさまざまな行動」をほどよくユルく紹介したポスターが評判 県外からも問い合わせ

「障がいから来る様々な行動に理解を促すポスターが、程よくユルい絵柄で受け止めやすいと評判です。話題になっているのは、主に横浜市港南区で掲示されているポスター。港南区の自立支援協議会が制作したもの。」との報道。

   以下がそのポスター。とても分かりやすいと思う。特に、社会性の障がいと言われる「自閉症スペクトラム障がい(ASD)」の特性にふれているのが素晴らしいと思う。ただ、「障がいからくる行動かも知れません」の方が、たまたまその行動をした人に対する不必要な偏見が生まれず良いと思う(詳細を言えば、その行動も誰にも必ず大なり小なり存在するASDの特性によるものなのだが)。現代は、まだまだ障がいに対する否定的な印象を持っている人が多い。


【ツイート③】

記事「泣き止まない子どもを母親が放置するイラスト 迷惑がられても…「そんな子もいると知って」

「『見守る』ことで子供を最短で泣き止ませる事が可能な場合もある。『見守り』が育児放棄と誤解されるのを防ぎたかったので描いた。」とイラスト作者。

   子育ては本当に大変。しかし、公共の場に出すのであれば、出来るだけ他の方法を模索するべきではないだろうか?

   例えば…⇨「子どもの癇癪…ママはどう接するべき? 〜「愛着」の考え方から見えてくる対処法〜(https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12344324269.html)」


【ツイート④】

記事「「傲慢さが生徒の自死を招いた」 元教諭の終わらない苦しみ

「B元教諭は懸命にバスケ部指導に取り組み『チームの為、生徒の為』と心を鬼にしてミスの多かったAさんを叱った。いつしか他の部員もAさんに厳しい言葉をかけるようになり、休み時間もAさんが一人で過ごすようになっていた。」との記事。

「ミスした選手に対して特に厳しく指導する」、この様な指導は多くの場面で行われているのでは?しかしその姿勢はいつの間にか部員達にも伝染し、責められた子供が孤立していく。

   ミスした子供には「ミスしたのはなぜか?」を考えさせて、次回の見通しを持たせ励ます、そういう指導が必要だと思う。

「大人の言動が子供に与える影響は大きい」という事を私達は自覚しなければならない。


【ツイート⑤】

記事「自転車「ながらスマホ」で死亡事故 元女子大生に有罪判決

「裁判長は『人を死傷させ得る自覚を欠き、周囲の安全を顧みない運転は自己本位で、過失は重大。未だ運転態度への内省も深まっていない』などと指摘した。」との報道。

   驚いたのは、「未だ運転態度への内省も深まっていない」という裁判長の指摘。自分の不注意によって人の命を奪っておきながら、未だに自身の運転態度を反省していないというのである。親はどんな指導をしているのか?「他のみんなも同じようにやっている」という不満があるのだろうか?


【ツイート⑥】

記事①「子どもが心閉ざす「言葉」とは? 「6割が不登校経験」高校の教え 「お母さんに聞いているんじゃない!」

「子供と向き合う時は、まず最後までしっかり聞いて共感してあげるのが大事。子供が話している途中で『わかるけど、それ違うじゃん』とか言っちゃったら台無しですね。関係が近い親ほど、そういう傾向があるようです。」との指摘。

記事②「高2「まさか今日死ぬなんて」、書き込み自殺か

「27日午後10時5分頃、栃木県小山市の踏切で、市内に住む県立高校2年の男子生徒が逗子発小金井行き普通電車にはねられ死亡した。小山署は自殺の可能性が高いとみて調べている。」との報道。

   自殺が最も多いというこの時期。世の親達は子供達の話を最後まで聞いて共感してあげているだろうか?それとも「我が子に限って自殺なんか…」と思っているだろうか?