【今回の記事】

【記事の概要】
   連日の猛暑の中で、私(本記事の筆者)も自宅ではついつい窓を開けて寝てしまうことがあるのですが、そんな朝、ある声で目が覚めることがあります。それは近くに住むお家のお母さんの“罵声”です。
「てめえ、ふざけんなよ」
「やーれーよ―――!(怒)」
「何で上着着てんだよ、バカかお前は!」
「(怒)」と書くまでもなく、すごい剣幕で自分の子どもを怒鳴りつけているのです。


繰り返しますが、この方は“お母さん”です。その後、子どもの言い訳と思われるボソボソした声が聞こえます。結構外でのやり取りが多く、昼夜問わず聞かれるのですが、静かな朝には特にこの声が響き、私も家族もビクッとする時があります。厳しいしつけは時に必要とは言え、「そこまで言わなくても…」と思うのですが…。
   そんなある朝…この日もお母さんの鬼のような罵声が響いていました。ところがこの日は子どもがある一言で反撃に出たのです。それは…、
「おばあちゃんに言うよー!」
何とその一言でその「鬼ママ」は静かになってしまったのです。
   これは推測ですが、この「鬼ママ」はおばあちゃん(自分の母親)がかなり怖いと思われます。子どもはママからの“口撃”に耐えかね、まさに「駆け込み寺」であるおばあちゃんに打ち明けたのでしょう。その後、おばあちゃんはママを諭したと思われます。諭したというと穏やかですが、ひょっとしたらママもおばあちゃんから厳しく叱られたのかもしれません。それをしっかり子どもは見ていたのではないでしょうか。

【感想】
   このエピソードを読んで、以下のようないくつかの疑問が湧いてきます。
①なぜ子の母親は 子供に対してこれ程の厳しい叱責をするようになったのか?
②この母親はなぜ大人になった今でも実の母親をこれ程恐れているのか?
③なぜこの子は 親に対する逆襲ができたのか?

   以下に、この3つの疑問について考えてみたいと思います。

なぜ子の母親は 子供に対してこれ程の厳しい叱責をするようになったのか?
   この“鬼ママ”の実母に対する恐れ具合を見ると、おそらく、この厳しい“鬼ママ”も、幼少期に自分の母親から厳しい叱責を受けていたのではないかと推測されます。
   更に、「親は自分が幼少期の頃に受けた養育を自分の子供にも同じように行う」とはよく聞く話ですが、わが国の「愛着」研究の第一人者である精神科医の岡田尊司氏も、「幼少期に過度な叱責を浴びた子供は 心に傷を負い、その怒りのために自分が大人になった時に、他者に対して攻撃性を持った人格を身につけてしまう「回避型」の愛着不全になる危険が高い」と指摘しています。
   これらのことを考えると、この母親が幼少期の頃に実母から厳しい叱責を受けていた為に、成人し自身が子を持つ親になった時に、その頃の怒りが我が子への攻撃となって現れていることが考えられます。

この母親はなぜ大人になった今でも実の母親をこれ程恐れているのか?
   いかに子供の頃に 親から厳しくされていたとは言え、通常であれば、成人後には親と対等に近い関係を 築くことができるものだろうと 思いがちです。
   しかし、先の岡田氏は「幼少期に母子間に形成された『愛着』は『第二の遺伝子として、その子どもの人格形成に一生に渡って影響を与える」とも指摘しています。繰り返しになりますが、今回の事例の母親は実母との 関係において心に傷を負うほど度がすぎる厳しい叱責(先の「てめえ、ふざけんなよ」「やーれーよ―――!(怒)」「何で上着着てんだよ、バカかお前は!」と同じような叱責)を受けていた ことが考えられます。そのために形成された不安定な「愛着」が「第二の遺伝子」して働き、大人になって子供ができた現在でも、幼少期の頃の母親に対する恐怖心が消えないのではないかと考えられます。

なぜこの子は逆襲ができたのか?
   しかしながら、「おばあちゃんに言うよー!」と、我が子からたしなめられたこのお母さん。子供を指導すべき立場の人間が、逆に子供から指導されると言う本来あってはならないこの現象は、なぜ起きたのでしょうか。
   それは、おばあちゃんが、この子供の前で、この子の母親を叱る姿を見せていたために起きたものと考えられます。本来なら、子供にとって指導的立場にある人間の悪口を子供の前で喋ってはならないのですが、その心無い言動が、子供の中に“家族内の序列化”の意識を生んでしまうことがあるのです。もしかしたら、この子どもは、今後も母親との間に気に入らないことがあれば「おばあちゃんに言うよ」と口答えをするようになるかもしれません。仮に、その時の 子供に対する母親の注意がその子どもにとって必要な注意であった場合、その子は自分の成長の機会を逃してしまうことになるのです。

子どもを「愛着不全」にしない叱り方
   子どもを叱ることは、その子どもの成長を考える上で必要不可欠なものです。しかし問題はその叱り方です。親は、今回のような事例を“反面教師”とし、子供を「愛着不全」にしないような叱り方を心がけなければ ならないのです。