【ツイート①】

「今日、知らない小学生がいきなり、軽くだけど腹パンしてきた。『やめて!赤ちゃんいるの!』って言ったら母親が出てきて『言われないと妊婦なんて分かんないよ〜』と。そういう事じゃない。まず他人にいきなり腹パンするのがおかしいでしょ。初めてクソ親のテンプレ見た…」との記事。

   面識のない他人の腹にパンチする小学生。そして支離滅裂な事を言う母親。その子は、もしかしたら普段親から同じようにされていて、そのストレスを他者に同じように発散したのではないでしょうか?だからこそ、親はその子の行為を謝れなかったのでは?

   しかし、それに対して「クソ親」と公に投稿する未来のお母さんの言葉遣いにも驚きました。因みに「テンプレ」とは「テンプレート」の略で「典型」という意味のようです。


【ツイート②】

記事「「しつけ」の名で虐待 専門家「どの家でも起こりうる」

「しつけや教育という名を借りた『教育虐待』。専門家は程度の差はあれ、どの家庭でも起こり得るとして、大人の自覚の必要性を訴える。」との指摘。

   以下の点の中で、「教育虐待」に走る親は、子どもが達成不可能な目標を与えがちである(⇨「「愛着」の維持のために④ ~子どもを「愛着不全」にしない叱り方~」参照)。どの家庭でも注意が必要である。


【ツイート③】

   軽トラを使ったひったくり事件。

   このようなひったくりや窃盗事件は、普通に働いている人間はしない。おそらく収入が殆ど無い人間によるもの。なぜ収入が無いかと言えば、安定した就業ができない、つまり本人の不安定な人格が、我慢して仕事を続ける事を妨げているのだと思う。

   では、なぜ不安定な人格を身に付けてしまうのか?ある精神科医は、乳幼児期に親から受けた不適切な養育が、本人の人格形成に一生に渡って悪影響を与える不安定型の「愛着」を形作ってしまう為と指摘。因みに「愛着」は、「自律心(我慢強さ)」や「人間関係能力」等、様々な力の育成に影響を与えるとされる。安定した「愛着」を形成する為にはどんなことに気をつけて養育すればいいのか?⇨「愛着形成 及び 愛着形成のやり直しの方法「愛着7」


【ツイート④】

記事「ジロジロ見られた「変形した顔」、学校に通えなくなって出した答えは 見た目問題当事者、小学校で特別授業


   深刻な「見た目問題」。これについては、親が特定の人をジロジロ見るのは失礼」ということを子供が幼いうちに指導するべきだと思う。これは「見た目問題」を抱えた人に対してだけではない。誰でも自分をジロジロ見られるのは不快な気持ちになる。

   何も指導しなければ、子供は残酷な生き物である。「人は教育されて初めて人になる」と指摘したのは、中京大で退官した名教育学者の鯨岡峻氏である。


【ツイート⑤】

記事「遮断機くぐった女子高校生、電車にはねられ死亡

「上尾署によると、女子生徒が遮断機をくぐって踏切内に入る姿を運転士が目撃しており、自殺の可能性が高いとみて調べている。」との報道。

   おそらく深い悩みがあったのだろう。保護者には「HELP」を出していたのだろうか?



【ツイート⑥】

記事「「自業自得」と子育ての心理学:中学生の車衝突、1人死亡4人重傷(岡山)

「ネットには『自業自得』よりも更に辛らつな言葉も。『みんな死ねばよかったのに』『全員じゃないのが残念だな』『事故おめでとう』『良い夏の思い出が出来て良かったね』『気持ちいいニュースだ』。ただし次のようなコメントも見られた。『自業自得ではあるが、子供が道を踏み外して無軌道な行動に走るまでに、彼らに向き合って常識やルールを教える大人がいなかったことも残念。子どもだけの責任ではないと思う。』」との記事。

   今更ながら、これまでの子供に対する養育を後悔している保護者もいらっしゃるだろう。私達は、決して他人事として傍観するのではなく、なぜこの子らはこれ程までに社会のルールを無視するまでになってしまったのか?それまでの親の養育のどんなところに問題があったのか?それを考えなければならないと思う。

   合わせて、「みんな死ねばよかったのに」「全員じゃないのが残念だな」「事故おめでとう」「良い夏の思い出が出来て良かったね」「気持ちいいニュースだ」というコメントを書き込んだ子供達もどこかにストレスを溜め込んでいるのだと思う。それはどこから生まれてきたものなのか?それも大人達の宿題である。

   いずれの場合も、親子間の「愛着(愛の絆)」のぜい弱化が一番の要因であることには疑いの余地は無いだろう。私達がするべき事は子供との「愛着(愛の絆)」を結ぶための愛情行為を子供達に施すことである。


【ツイート⑦】

記事「オウム真理教の松本智津夫死刑囚らの死刑を執行

   自分の居場所や心の拠り所を無くした若者が、自分が傾倒できる思想を求めて入信してくる宗教団体。その信仰の強さが逆に仇となって凶暴化したこのオウム真理教の事例。

   大切なことは、なぜ“自分の居場所”や“心の拠り所”を無くす若者が生まれるのか?家庭を含み今の社会環境のどこに問題があるのか?を考えることだと思う。言い換えれば、人間が本能的に満たしたいと思っている“欲求”をどのようにして満たしてやるか?と言ってもいいだろう。最も重要な欲求は、“自分の居場所”を保証する「自分の拠り所となる誰かと心の絆で繋がっていたい」という欲求である。

   そうしなければ、四半世紀近くも前の事件を知らない若者が同じ行動を繰り返すこともあり得る。事実、昨日のテレビ報道で、オウムの後継団体に入信している二十歳ほどの青年が、取材する記者に対して「裁判になった際の証拠にするため」としてビデオ撮影し、異常なまでの警戒心を示して対応する様子が紹介されていた。その話し方やや様子は当時の信者とまるで同じだった!