○「愛着」は変化するもの
 乳幼児期に子どもとの間に安定した「愛着」を形成できたとしても、その後も「愛着」はそのまま存在し続けるかというと、決してそうとは限りません。なぜなら「愛着」というものは、先天的なものではなく、子どもが生まれた後、その時々の生活環境によって形作られる後天的なものだからです。ですから、例えば子どもがある程度成長してからの親の接し方が適切でなければ、一度形成できた「愛着」が不安定になることは度々起こり得ることです。
   ちなみに、精神科医の岡田尊司氏が、「現在多くの家庭で行われている、最も『愛着不全』を招きやすい養育」として危惧しているのが、日頃から、子どもの言い分も聞かず、「何やってるの!」「ちゃんとしなさい!」「何回言わせるの!」等と否定的な言葉を子どもにぶつける養育だそうです。つまり、子どもが何らかの問題行動を起こした時の親の関わり方にこそ、安定した「愛着」が存在し続けるかどうかがかかっているのです。

失敗に対する過度の叱責が「愛着」を傷つける
 さて、旧帝国日本海軍の連合艦隊司令長官を務めた山本五十六氏は、次のような名言を残しています。
「人は神ではない。 誤りをするというところに人間味がある。」
一つのミスが多くの命を奪いかねない戦時中にあって、山本氏は「人間に誤りはつきものである」と指摘しているのです。
 私たち大人であっても失敗はします。例えば職場の中で、自分が何かトラブルを起こしてしまった時に、上司から追い打ちをかけられるように「何てことをやらかしてくれた!」と叱られたなら、どんな気持ちになるでしょう。途方にくれて、しばらく仕事が手につかなくなってしまうのではないでしょうか?
   子どもならばなおさらです。人生経験の浅い子どもが、何らかの問題行動を起こした時に、親から「何やってるの!!」と強く叱責されたなら、大人以上に落ち込んでしまい、自己肯定感が激しく低下してしまうでしょう。たとえ自分に非があることは分かっていても、親から完全否定される厳しい言葉をかけられると、親の「安全基地」としての機能が「危険基地」へと変化してしまい、親との「愛着(愛の絆)」に傷がつきます。すると、子どもは何か困ったことがあっても親に相談しようとは思わなくなります。たとえ、深刻ないじめに遭っていようとも。

子どもが問題行動を起こしたら、まず始めに「何があったの?」
   先の私達大人の例で言うと、大人である自分が問題行動を起こした時には、罵倒するのではなく、できれば「何があったんですか?」と聞いてもらい、自分の内情を理解して欲しいと誰もが思うでしょう。なぜならば、誰にでも“自尊心”というものがあるからです。
   それと同様に、子どもであっても、穏やかな聞き方で「何があったの?」と、自分の気持ちを親に聞いてほしいと思うはずです。「何があったの?!」と問い詰めるような言い方とは違います。それでは子どもは、親の迫力におされてしまい何も喋れなくなります。同様に、始めから「何やってるの!」等と厳しい叱責を受けてしまうと、子どもはやはり口を貝のように閉ざして何もしゃべらなくなります。
   また、稀に、実は子どもに非はなかったというケースもあります。そんな時に、子どもの言い分を聞かずに厳しく叱ってしまうと、子どもは完全に親に対する信頼感を失ってしまいます。そんな時には、親との「愛着(愛の絆)」は瞬時に“崩壊”してしまうかもしれません。
   また、始めに事情を聞いてみたけれど、非は確かに子どもにあったという場合も多いでしょう。それでも、子どもからすれば、「お父さん(お母さん)は自分の気持ちを聞いてくれた」という印象に繋がり、その思いが、親子間 の安定した「愛着(愛の絆)」を維持するのです。その場合、子どもの親に対する信頼感が失われることはないため、その後の親からの指導の言葉が心の中にしっかりと響きます。