【今回の記事】

【記事の概要】
 冒頭の4回転サルコーは柔らかい着氷で両足の爪先を大きく開くイーグルへつなげ、トリプルアクセル(3回転半)は完璧。4回転からの連続トーループで3回転を降りるともう、歓声でショパンのバラード第1番がかき消された。数週間しか練習できなかったが「何年間も付き合ってくれたジャンプだから」。体が反応してくれた。

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 右足首の影響を考えて練習でジャンプの本数を抑えており、サルコーが実は不安だった。頭はフルに働かせていた。「練習できない時に論文などで調整法を勉強してきた。それが出せた」と胸を張る。解剖学に加え練習法や計画など文献をあさり、独学で方法論を確立した自負があった。オーサー・コーチも「これは運ではない」と言う。
 負傷の後に氷上練習を再開するまで2カ月かかり、そこから五輪まで1カ月しかなかった。一般的に、復帰までには、休んだ期間の3倍の日数がかかると言われ、そうなると数字上は合わないジャンプのイメージトレーニングに特に重点を置き、失った時間を補った
オーサー・コーチは「氷に戻ってきたときには全てが一つになっていた。いい滑りをするだろうと思ったよ」と振り返った。

【感想】
「負傷の後に氷上練習を再開するまで2カ月かかり、そこから五輪まで1カ月しかなかった。一般的に、復帰までには、休んだ期間の3倍の日数がかかると言われ、そうなると数字上は合わない。」
羽生選手は、負傷後、氷上練習を再開するまで2カ月休んでいました。その後復帰までには、その3倍の6ヶ月かかるはずでした。しかし、氷上練習を再開した時、五輪までわずか1カ月しかありませんでした。常識では、復帰はあり得なかった…はずでした。
   しかし、それを可能にしたのが、練習できない時に論文などで調整法を勉強し、更に解剖学に加え練習法や計画など文献をあさり、独学で方法論を確立した彼の類まれなる“探究心だったのです。事前会見で彼が「滑れない時も一生懸命努力してきましたから」と発言していたのは、正にその事だったのでしょう。

   私は、昨日のブログで、「奇跡の復活を果たせたのは、“高い自己肯定感”と“驚異の身体的回復力”を支えている親との確かな『愛着(愛の絆)』のおかげではないか?」とお話ししましたが、実はその他に、高い探究心に裏付けられた彼自身の“努力”がありました。だからこそ、「復活できるはずだ」という「自負があった」のです。

   ところで、今企業が学生に求めている能力要素のベスト3が以下です。
1  主体性
2  コミニュケーション力
3  粘り強さ

   このうち、彼が練習できない時に彼が行った上記の様々な研究の基盤にあった“並外れた探究心”は、正に、この「主体性」と「ねばり強さ」以外の何物でもありません。

   羽生結弦という選手に憧れる子供達は多いでしょう。しかし、彼の表面上のジャンプやステップ等の技術だけを真似するのではなく、表に見えない“影の努力”こそを見習って欲しいと思います。その事が、子供達を実社会に通じる人間へと成長させる事に繋がるのですから。