先日、全国的に大雪が降りました。奥羽山脈よりも東側にある私の地域にも久しぶりに雪が積もりました。
   その積もった雪を見て、ふと昔教えた子供達のことを思い出しました以前私が勤めていた学校の中で、2学期に学級崩壊に陥ったクラスがありました。その時、研究主任と言う立場にあり担任を持っていなかった私は、3学期その学級の臨時担任を兼務することなりました。担任となった私は、子供たちに「毎日1度は友達に対して『ありがとう』『ごめんなさい』を言うようにしよう」という目標を与え、子供達の「承認・尊重欲求」を満たしてあげようとしていました。
   そんな折、ある日大雪が降り、全学年の子供達が出入りする昇降口(玄関)の前がたくさんの雪で歩き難くなっていました。そこで私は朝の会で、子供たちに、「こんな時に6年生である皆さんが、下級生達のために昇降口前の雪かきをするという活動は、学校のリーダーとしてふさわしい行いだと思います。」と話しました。するとその日の中休みに、その学級の7、8人の男子達が自ら昇降口前の雪かきを始めたのです(先日投稿した記事で紹介した通り、行動の“必然性”に気づいた時の男子の実行力には目を見張るものがあります)。子供たちが雪かきをしていると、校長先生はじめ、数人の先生達が子供達に対して「ありがとう。とても助かるよ。」と褒めてくださいました。「承認欲求」が満たされたおかげで、それまで学校の中で問題学級扱いされていたクラスの子供たちの目に輝きが戻った瞬間でした。
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   これは学校に限ったことではありませんが、問題の多い子供に対して、その行動を叱るよりも、人の役に立つ活動を勧め活動させて褒める方が、子供の成長に直結します。つまり、褒めるネタを作るのです。しかし、ただ単に「◯◯をしたら?」と言うのではなく「◯◯をすると、きっとお父さん助かると思うよ」等のように、必然性(理由)を添えて進める方が子供の行動を促します(世の中の“仕事”と言うものは誰かの役に立つから存在しているのであり、「必然性がある」と言う事は、言葉を変えれば「誰かの役に立つ」と言う事でもあるのです)。もちろん、後で子供がしたことに対してお父さんから「とても助かったよありがとう」と言うお礼の言葉を伝える事は“言わずもがな”ですが。

   ちなみに、この日、あの時の子供たちを思い出しながら雪かきをした翌日、激しい腰痛に襲われた私でした(歳には勝てません…😅。)