前回の続きです。)

   では、「我が子が自分から宿題に取り組まない」という想定で「自立4支援任せて見守り諭して褒める」での具体的な支援方法を考えてみましょう。

   本来なら、つい「宿題早くやりなさい!」と注意したくなるところですが、そこを何も言わずに我慢して子供に“任せる”、そういう覚悟が必要です。ただし、それまで口を出していたのであれば、「今日からは何も言わないから自分の力でがんばってみなさい。それもあなたの為になるから」と断っておく必要があります。そうしないと、場合によっては子供は「見放された」と誤解して、親の気持ちに反した行動をとる恐れがあります。そして、何も言われない子供がどういう行動を見せるのかを楽しみに“見守り”ます(この意識だけで親のストレスは軽くなります)。

   なお、ここで要注意なのは、決して“見張る”のではないということです。“見守り”と“見張る”との違いは親の表情に表れます。マジ顔見張られていると子供は緊張して意欲は減退します。見守る”という行為は、“微笑みながら見る”というイメージです。

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   “やる気”というものは人から言われる萎んでしまうものですが、言われないでいると、自分に委ねられる事になるので、“自己責任”の意識から自分から始める子が多いです。そこが「過干渉養育」との違いです。その時に、「自分から始めてえらいね」という親からの“褒める言葉が次回への意欲につながります。

   しかし、仮に宿題をしないまま寝てしまったとしましょう。それでも“干渉”はしません。次の朝になって、慌てて宿題をやり始めるのか、そのまま学校に行くのかを“見守り”ましょう。慌てて宿題をやった朝は、子供にとっては、「遅刻するかもしれない?!」「ご飯を食べる時間が無くなるかもしれない?!」等と地獄のような時間との戦いになります。しかしその地獄のような時間は、子供にとってこの上なく貴重な経験になります。なぜなら、心理学上、人間というものは自分にとっての“不利益”を感じない限り本心から行動を改めようとは思わない生き物だからです。

   その慌てる様子を見ても「ほら見なさい。自分が悪いのよ。」等とは言いません。これは相手を“責める”言葉であって、“諭す”言葉ではないからです。この子供の緊急事態に“責める”言葉をかける事は、火に油を注ぐようなものです。「ちくしょう!後で見ていろ!」と“責める”言葉をかけて来た相手に対して反発心を抱かせるだけです。“諭す”言葉をかけるとするなら「(冷たい言い方ではなく、穏やかな言い方で)やっぱり前の日のうちにやっていた方がいいようね」くらいでしょうか?

   さて、地獄のような朝を過ごし、学校では先生に叱られるという“W不利益”を経験した子どもは、前の日とは違う行動をとる可能性が高いです。もしも反省して夜のうちに自分から取り組んでいたようなときには、今後の定着のためにも必ず“褒める”言葉が必要です。

   逆に、今朝の苦しみを忘れているような場合には、「(穏やかな言い方で)また今朝のように慌てることが無いようになるといいね」等の“諭す”言葉が必要です。ちなみに、「……になるといいね」という言葉は、子供側に立った言葉なので、それを子供は親からの“プレッシャー”ではなく“励まし”と受け止めます。その“励まし”としての“諭し言葉”を受けた子供は、腰を上げ宿題に取り組むでしょう。

   そして親はその様子を“見守り”、頑張っているようであれば、宿題に取り組んでいる途中で「がんばってるわね」と褒め言葉をかけます。この「がんばっている最中に一度褒める」というのがより上手な褒め方のポイントです。その事で子供のやる気に再び“意欲”のエンジンがかかるのです。“見放し”てしまうとそれが出来ません。“見守っている”からこそできる褒め方です。もちろん宿題をやり終えた時にも必ず“褒め”ます


   自分に任せられた子供は、自分が頑張れば利益を得ることができますし、逆に怠ければ不利益を被る事になります。そこに、親との軋轢(あつれき)は生まれません。完全な“自己責任”の世界になります。自己責任”の意識の中で生活した子供は、自分の非人のせいにはしません

   逆に、親から口うるさく言われ渋々やった子は、“自己責任”を学ばないばかりか、親に対する反発心を増幅させ思春期に猛反撃をして来ます。