朝に雨が降ると、中学校の校門にズラリと自家用車の列ができます。子どもを送るための車です。小学生は集団登校で傘をさして歩いて登校して来るのですが、なぜか、“中学生になると送ってもらうのが普通”という考え方が広がっているようです。親自らの意思なのか、子供の希望なのかは分かりませんが、皆さんの地域ではいかがでしょう。それこそ、前回お話ししたように「『学校に行くことはだれの仕事でしょう」と一考の余地がありそうです。

   さて、あるテレビ番組で、「東大生は一般常識が欠落している」というテーマで放送していました。東大を目指して猛勉強してきた子ども達は、おそらくはもちろんお手伝いなどはせず、更に、本来なら自分でするべき食事後の食器の片付け等も親にしてもらい、自分は早々に勉強部屋へ駆け込むといったような“勉強漬けの毎日”だったのかも知れません。しかしその結果、「僕は、カップ麺の焼きそばの麺がのびてしまった時に、ドライヤーで乾かして元に戻そうとした」とか「『世界ふしぎ発見』の司会者が草野さんだったということも知らなかった」と、東大生自身が話していました。別にテレビ番組の司会者が誰かということは知らなくても構いませんが、自分の生活に関わる知恵を知らないと、その子ども自身が自立できずに困ることになります。
   繰り返しになりますが、人生の目的は東大に合格することや、一芸に秀でて有名になることではありません社会の役に立つことのできる一人前の社会人として自立することです。事実、教育基本法の第一条「教育の目的」にも、「教育は、人格の完成をめざし平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と明記されています。どこにも、「成績優秀な大人に育てる」とは、記されてはいません。目指すのはあくまで、一人の自立した社会人の育成です。
   さて、自立のためには、当然自分でするべきことは自分でするように習慣づけをする必要があります。間違っても親の方から「お手伝いなんかしている暇があったら勉強していなさい。」等と声掛けをしないようにしたいものです。子どもが親の手伝いをして、それに対して親が笑顔で「ありがとう。」と言うことによって、「学力よりも何倍も尊い親子の愛着愛の絆)」が生まれるのです。そのように親子の「愛着(愛の絆)」を形成しながら育てられた子どもは、寂しさを埋めるためにネットや非行に走ったりはしません。また、勉強ばかりしてきたエリートは、失敗を経験するとドロップアウトし易いという話を時々聞きますが、「愛着愛の絆)」が形成されて育った子供は、大人になった時に、良好な人間関係を築くことができますし、安定型愛着スタイル」を身に付けることから、社会に出てからポジティブな生活を送る事ができるのです。

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