今回も目次の順序と前後します。ご了承ください。
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   これまで、ほとんど「子どもを受容する」「子どもを肯定的に認める」等の提案をしてきました。しかし、先に、「いつまでも子どもの欲求を先取りし受容し過ぎていると、『母は自分の一部である』と思い込んで、親が自分の気持ちのとおりにしてくれないと、かんしゃくを起こすようになります。」と述べたように、過保護になってサポートを与え過ぎると、子どもの「自立の妨げになります母親という「安全基地」は、子供自身が必要性を感じて自ら避難する場所であり、子どもが求めていないときまで、親の意思で「基地」を移動させ子どもを保護する場所ではないのです。それでは、まるで子どもを閉じ込める牢屋のようになってしまい、子どもは主体的な探索行動に出かけることができなくなってしまいます。つまり、親による子供に対する支配過干渉の始まりです。その結果、いつも親に依存し、且つ不安の強い自立できない子どもを育ててしまいます。
   子どもの「自立」のためには、子ども自身が「自分でできること自分でするのだ」という自己責任感を持つことが必要です。そのためには、子どもと話し合ってこれからは何を自分でしなければいけないかという目標(例えば「朝は自分の力で起きる」)をはっきりとさせ、それを子供に予告心の準備をさせておきましょう。そういう「予告」なしに「もう高学年なんだから自分で起きて来なさい!」といきなり予測不可能なタイミングで叱ることが続く、子どもは親に対して不安感を覚え愛着不全に陥る危険もあります。
   さて、時々宿題のドリル等を学校に忘れていく子どもがいます。この時に、親が車で学校まで一緒に行き忘れ物を取りに行くというようなことをすると、子どもは「忘れてもまたおかあさんととりにくればいい」と誤った学習をし、失敗に対する警戒感が薄れます正しい学習経験とは、失敗をしたら、その後に子どもにとって不利益なこと、例えば「先生に叱られた」、「みんなと一緒に答え合わせができなかった」等の経験があって初めて「こんな嫌な思いをするのはもう嫌」と実感し、「これからは同じ失敗をしないようにしよう」という自覚が自ら生まれることです。それなのに、大人が車で忘れ物を取りに行ってあげるなどの「転ばぬ先の杖」を用意することによって、せっかくの学習の場を奪ってしまわないようにしたいものです。人間は、嫌だったことを実際に経験しないと本気で直そうと努力しないのです。このことについては、先に紹介した「子どもの心のコーチング」の著者である菅原裕子さんも「このような(失敗体験を日々の中で繰り返した子どもは、居心地の悪いことが起こると、どうしたらいいかを考える習慣が付きます。そして、その原因を変えるよう努力しようとします。(中略)そうやって問題処理能力が高まっていくのです。(菅原2007)」と述べています。人は何らかの行動をした結果、自分にとって有利になる(嬉しいことが増える、嫌なことが減る)状況を経験すると、その行動をもっとしようと考え、反対に、自分にとって不利になる(嫌なことが増える、嬉しいことが減る)状況を経験すると、もうやらないように考えるのです。
   ただし、市一斉に実施する尿検査の検体を忘れたとか、お弁当を忘れた等という場合には、親の責任で届ける必要があります。前者は市全体に迷惑をかけてしまいますし、後者は子どもの健康を害してしまうことになるかもしれないからです。そのうえで、その日の夜にでも、「なぜ、自分で用意できなかったのか」を子どもに考えさせましょう。まちがっても「お母さんが用意してくれなかったらだ。」等と責任転嫁させてはいけません。「先生が『学校に持ってきなさい』と言ったものを持っていくのはだれの仕事なの?」と、一喝してあげてください。そういうわがままな主張を受け入れてしまうと、自分一人では何もできない自立しない大人に育ってしまいます。

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