あるコンビニに行った時のことです。ある一定金額の買い物をしたので、クジを引くことができました。2枚クジを引いた結果どちらも「当たり」でした。しかも2つとも私がとても欲しかった品物でした。今までも「当たり」が出たことは何度もありますが、もらった品物は正直あまり喜べるものではありませんでした。つまり、この時のクジの結果は今までで最高の結果だったのです。
しかし、その直後、不思議なことに何故かちっとも嬉しく思っていない自分に気がついたのです。
その答えは、直ぐに分かりました。私から当たりクジを差し出された店員さんは全くの事務作業のように、何も言わず交換する品物を取りに行き、私のレジ袋に入れたのです。これまでなら、品物をもらう時に、店員さんから当選を喜んでくれる笑顔で「当たりですね。おめでとうございます。」等のような言葉をかけてもらうことが多かったです。そんな時は、どんな物をもらおうともやっぱり嬉しい気持ちがありました。この時私は気が付きました。自分が欲しかったのは品物ではなく、店員さんの“言葉”と“笑顔”だったのだと。
このエピソードを経験し、過去に投稿したある記事を思い出しました。それは、以下の記事です。
この中で私は以下のように述べました。
「あるテレビ番組での事です。芸能人の親子関係について特集する内容でした。その番組の中で、ある女性の芸能人の方が涙を流しながらこう言いました。『私は、我が子に何一つ不自由させる事なく育ててきましたし、あの子が楽をできるように一生懸命働いてきたました。それでもあの子は、私に対する敵愾(てきがい)心を捨てる事は決してありませんでした。』と。この方はかなりのベテラン大物芸能人で、おそらく経済的にかなり恵まれていた方だったようで、子どもさんが望むものは何でも買い与えていたようでした。しかし、その母親がしたことはそれだけでした。金品しか与えてもらえなかったその子どもさんは、大人になった今でも、自分の母親を憎み続けて生活してきていたそうです。」
この芸能人のお子さんも、欲しかったのはお金や品物ではなく、母親からの「視線」「笑顔」「優しい言葉」「スキンシップ」等の愛情(「愛着7」はその一例)だったのでしょう。
また、私は以前次のような記事を投稿しています。
この中で、「1人でできる子が育つ『テキトー母さん』のすすめ」の著者の立石美津子氏の次の指摘を紹介しています。
「(病院で医師から問診を受けている時に)医師がパソコン画面に目が釘付けになっていて、自分の目をしっかり見つめて話をしていない状態。『ちゃんと私の話を聞いているのかな?』と不安になることってありませんか。このように、人と会話をするときに目を合わせない、向かい合っていないと自分の話を聞いてもらえない気になりますし、相手の話を聞く気にもなりませんよね。」
「幼稚園、保育園、小学校でもクラスによって全体がざわついているクラスと落ち着いているクラスがあります。(ざわついているクラスには)様々な要因がありますが、教師自身が常に何かをしながら子ども達に声をかけている状態が続くと、先生の注意が子ども達の耳から耳へ抜けてしまうことはよくあることです。例えば、黒板の方に身体を向けながら「みんな○○しなさい」と言ったり、プリントを触りながら指示を出す先生です。」
これら立石氏の指摘は、人が相手に視線を向けないことで起きる問題です。
人に気持ちを伝える、人と心の絆を結ぶという事は難しいものです。「表情(笑顔や微笑み)」「優しい言葉がけ」「視線」等のどれが欠けても十分とは言えません。言い方を変えれば、「どんなことに気をつければ相手との心の絆を繋ぐことができるのか?」という事を認識しておくという事が大切です。その一例として、相手との愛着(愛の絆)を形成するための愛情行為「愛着7」を参照頂ければ幸いと思います。
もちろん、この世の中で最も大切な絆は親子間の絆、つまり愛着(愛の絆)である事は言うまでもありません。コンビニなどのお店では、売り上げへの影響だけで済みますが、子育ての場合は、先の芸能人の子供のように一生に渡って親子関係にヒビが入ったり、精神科医の岡田氏が指摘するように、人間関係能力や自立性をはじめとしてその子の様々な面に悪影響を及ぼしたりするのです。特に、親が働いていてなかなか子供と過ごす時間が取れない場合は、その“質”を高めなければなりませんから、効果的かつ具体的な愛情行為を意図的に実践する事は必要だと思います。