皆さんは人から殴られた経験はありますか?
   私は大学生時代に、同じ年齢くらいと思われる若者集団から暴行を受けたことがあります。彼らが暴行を加えたわけは、夜中に市街地で騒いでいた彼らを私が“見ていた”というものでした。「お前俺らを見てたろ!」と因縁をつけられ、激しい暴行を受けました
   今その時の痛さは覚えていません覚えているのは、その時の“恐怖”だけです。他人から襲いかかられる時の相手の“言葉”や“表情”が映像のように記憶に残っています
  “恐怖”と言えば、私は以前、次のような記事を投稿していました。
この記事の中で、以下のように述べました。
私は以前、成人の場面緘黙の方ご本人(Aさん)から直接 体験談を聞く機会に恵まれました。実は、 Aさんは生まれつき緘黙だったのではありません。幼稚園に通っていた時にある先生(B先生)のために緘黙になってしまったとの事でした。ある日、Aさんは幼稚園でお漏らしをしてしまったそうです。すると、B先生は烈火のごとくAさんを叱りつけたそうです。それ以来、Aさんは幼稚園では全く話せなくなったそうです。そして、小、中、高と、緘黙の症状は続いたそうです。
   このAさんにとって、烈火の如く叱りつけた先生の“恐怖は如何許りか計り知れません。痛みなど直ぐに忘れます。しかし、その時に襲われた“恐怖”だけは忘れることができないのです。特に感覚過敏の傾向の強い人こそそうなのだと思います。

   私は、大人になってからも殴られたことがあります。相手も大人でした。その時の“恐怖”は学生時代のそれよりも遥かにショックでした。何故なら「理性的である大人は暴力を振るわない」というそれまで抱いていた認識が“ちゃぶ台返し”された衝撃は、特に環境や認識の大きな変化に苦手意識を持つ私にとっては想定外の衝撃だったからです。私は今でもその時の“恐怖”から逃れる事が出来ていません。今でもその時の様子がフラッシュバックすることは度々あります。
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   その衝撃の大きさは以前投稿した次の記事からも裏づけられるかと思います。

   未だ虐待や体罰が無くならない昨今、暴力を行使する方はその時の感情に任せて行なっている行為かも知れませんが、受けた方が苛まれる恐怖は時にその人の心に傷をつけその後の生活に大きな影響を与える事もあるのです。
   特に親子間の場合、子供であれば親という「安全基地」が逆に危険な場所となることで、混乱を招く混乱型愛着パターン」に、大人になっても「恐れ・回避型愛着スタイル」になる危険が高まります。