前回は、「子どもの人生を変えてしまう教師としての仕事」という記事を投稿しました。今回はその続編とも言える内容です。

   私は以前、成人の場面緘黙の方ご本人(Aさん)から直接 体験談を聞く機会に恵まれました。Aさんは現在では症状が緩和して人前でも話せるようになったそうです。
   実は、 Aさんは生まれつき緘黙だったのではありません。幼稚園に通っていた時にある先生(B先生)のために緘黙になってしまったとの事でした。
   ある日、Aさんは幼稚園でお漏らしをしてしまったそうです。すると、B先生は烈火のごとくAさんを叱りつけたそうです。それ以来、Aさんは幼稚園では全く話せなくなったそうです。そして、小、中、高と、緘黙の症状は続いたそうです。ところが、大学の時に自分の研究室の担当だった先生と出会って緘黙は治ったそうです。その先生は、穏やかな性格で、学生の長所を見つけ伸ばす方だったそうです。その先生との出会いでそれまでの張り詰めた緊張の糸がようやく緩み、人前でも話せるようになったのです。

   つまり、教師はある一人の人間の人生を狂わせることができるし、逆に狂った人生を元に戻すこともできるのです。
   子どもたちの中には、Aさんのように感覚がとても敏感な子どもがいます。そういう子は、自分の失敗をいきなり予想不可能な強い叱責で責められると、心に深い傷を負い、言葉が出なくなったり、パニックに陥り奇行に走ったり、いきなり不登校になったりする場合があるのです。その結果、最悪の場合、卒業式にさえ出席できないということになる場合があります。
「教師はどんな厳しい叱り方をしても許される」と思うのは、その教師のおごりです。その教師の言動で、子どもは「安全基地」を失いパニックに陥るのです。そのショックは、虐待と同等の威力があり子どもを文字どおり「混乱型」(虐待を受けた子どもが陥る型)の愛着パターンに突き落としてしまうのです。正に「言葉の暴力」です。