【今回の記事】

【記事の概要】
 東京都江戸川区で2015年に岩瀬加奈さん(当時17)を殺害して現金を奪ったなどとして、強盗殺人などの罪に問われた無職青木正裕被告(31)が1日、検察側の求刑通り無期懲役とした一審・東京地裁判決を不服として、控訴した。
 判決によると、青木被告は15年11月、アルバイト先の元同僚の岩瀬さんを自宅に誘い出し、首を絞めて殺害。財布から現金7500円を奪うなどした。公判で青木被告は「無期懲役は実質的な終身刑です。私は唯一、それだけはいやです」と述べていた。


【感想】
   青木被告にはどうしても避けたい刑があった。ならば、あくまで仮の話であるが、この青木被告は無期懲役になると分かっていたら別の行動に出たのではないか?私は「結果が自分にとって不利益をもたらすものであれば行動を変える」という応用行動分析学の原則を思い出した。
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   そんな事を考えていたら、ふと“いじめ問題”が頭をよぎった。青木被告には免れたい不利益があった。ならば、いじめをしている加害児童・生徒も同様ではないか?青木容疑者の場合は自分が無期懲役になろうとは知る由もなかったが、学校という環境の中で行われるいじめ問題ならば、このままいじめを続けていれば、いつか法的な処罰を受けるかも知れないという不利益教師が教えることができる
   具体的には次の2つが考えられる。
どのような罪になるのかを具体的に教える

   そのうえでこう伝える。
今のままいじめを続けていれば(具体的に)このような法的な処罰を受けるかも知れません。それは決して今後のあなたの人生の幸せに繋がるものではありません。それでもいじめを続けたいと思いますか?
これは決して“脅し”ではない。生徒に起こる不利益を回避させる生徒のためのアドバイスである。いじめ指導を行う時に、教師が加害生徒を責める敵側にいると生徒はその言葉に反発し被害生徒に「チクったな!」と更なるいじめ行為に走る。しかし、このアドバイスを送る時その教師は生徒の味方側にいるのだ。おそらく生徒はその教師の発する言葉に考えを巡らせるだろう。

   かく言う私自身も、高校時代に冗談半分のからかいのために友人を自殺に追いやってしまった忘れようにも忘れられない辛い思い出がある。もしもあの時に先生の誰かが「彼は冗談とは受け止めてはいない。自殺さえしかねない程心に深い傷を負っているのだ」と声をかけていてくれていたらと思う。高校生といえどその危険予測能力など所詮その程度であり、小学生や中学生となればもっと未熟である。単に「楽しい」、その感情だけで行動しているのである。

   そもそも子供である児童・生徒がいじめや犯罪に走るのは、そう言う人間に育ててきた大人達の養育環境のためである。例えば、いじめに走る子供達は、乳幼児期から親から不安とストレスを与え続けられ、本来心を休めるはずの「安全基地」を持たない不安定型の愛着パターンを持つ子どもに育てられたがために、その溜まったストレスを発散させるためにいじめ行為に走るのである。

   私たち大人は、反社会的行為をする子供達を責める前に、まず「自分は子供との『愛着(愛の絆)』を結べているか?」「子どもに『安全基地』を与えているか?」を自分に問い直す必要があると私は思う。