(前回の続きです)

   6年生のある学級にいじめ指導に入った生徒指導主事の私は、あるカミングアウトを始めた。

   それは私が高校生の時のことである。同じクラスにS君という体の大きい、しかし友達と殆ど会話をしない男子がいた。友達に話しかけられても「ウス(「はい」)」としか返答しなかった彼。人数ははっきりとは覚えていないが、私を含めて何人かの男子が、時々その返事の仕方を真似してからかっていた。それでも彼は怒ることもなく平静を装っていた。
   彼が焼身自殺を図って亡くなったという話を聞いたのは、高校を卒業して数年経った時だった。大雪が降ったある日、S君は自分が逃げ出せないように自分の周りに雪の壁を作ってから灯油をかぶって火をつけたとの事だった。
   私は罪の意識に苛まれた。当時S君は何も怒ることもなかったが、実は周囲からのからかいに苦しみ悩んでいたのではなかったか?そして自分もそれに加担した1人だったのだ。そう思うとあの頃、冗談のつもりだったとは言え、不用意にも彼をからかっていた自分が許せなかった。苦しかった。

   私はその話を子供達にした後、こう伝えた。
あなた達には先生のように友達を自殺に追いやるような経験をさせたくない

   周囲の人間達は私のように冗談のつもりでからかい楽しんでいるだけかもしれないが、からかわれている人間がどれほど心に傷を負っているかは周囲からは分からない。それだけに、「まさか?!」と思うようなタイミングで自死事件が起きるのだ。
「今あなた達が冗談半分でいじめている女の子が明日自殺しないという保証はどこにもないのです。」
子供たちは私のその言葉を真剣な表情で聞いていた。指導はここで終わった。

「遠藤先生、男子達が女の子に謝ってくれました!」とその学級担任から聞いたのはその翌日だった。それ以後もいじめが再発する事は無かった。
   その時の事例はなぜ解決に至ったのか?男子児童らが「自殺されてはこっちが困る」と考えたのか?いやポイントは、「あなた達には先生のように友達を自殺に追いやるような経験をさせたくない」と伝えたことではなかったか?つまり、彼らにとっての敵対位置では無く、彼らの側に立ったこと、解決に至ったポイントはそこだったと今、自分自身振り返って感じている。

   いじめ指導は、ややもすると「注意する教師VS注意される生徒」という敵対関係になりがちである。
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しかし、国立教育研究の滝氏が「いじめは加害者が溜めたストレスの発散によって起きる」と結論付けたように、いじめに走るほどのストレスを感じている子供達を更に責め立て追い打ちをかけることは火に油を注ぐようなものである。余計な反発心が生まれ、それは被害生徒に増幅して降りかかる結果となる
   加害生徒自身も以後自分達に大きな不利益が降りかかる事など望んではいないのだ。しかし、彼らにはまだ事態予測能力が十分に備わっていない。だから、大人はその事を教えてやらなければならない。必要であれば、重大ないじめ行為に対して被害生徒から法的な訴えを起こされたら勝ち目はない(加害生徒の責任能力の有無に関わらず)事、場合によっては傷害事件として警察沙汰になる場合もある事なども教えてやればいい。但し“脅し”としてではなくあくまで“アドバイス”としてである。もちろんそれは、彼らにとっての敵対位置では無く、彼らの側に立つためにである。