【今回の記事】

【記事の概要】
   左肩付近を負傷した稀勢の里が、大関・照ノ富士に本割と優勝決定戦で連勝し、横綱として最初の場所を優勝で締めくくった。この「奇跡の優勝」に日本中が沸き立ったが、今回の稀勢の里の「強行出場」には、是非を問う声があがっている

   大相撲3月場所、稀勢の里は13日目、横綱・日馬富士との取組みで、左の肩から腕にかけて負傷した。14日目は横綱・鶴竜に正面からぶつかるも左腕が全く使えず、一方的に寄り切られて2敗目。
   そして千秋楽、照ノ富士との決戦。稀勢の里の作戦は立ち合いで右に動くことだったようだが、これは立ち合い不成立とみなされ、仕切り直しとなった。次には逆に左に動き、食い下がる照ノ富士を最後は突き落としで土俵にはわせた。稀勢の里の想定外の勝利に館内は割れんばかりの賞賛の嵐となった

   だが、この一番をめぐって議論が起きた。前日、照ノ富士も関脇・琴奨菊相手に立ち会いで右に動き、はたき込みで勝ち星を手にしていたが、大関の「変化」に会場からはすさまじいブーイングが起きていた
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   実は、このとき照ノ富士も左ひざを痛めていた。前日13日目の鶴竜との取組みで古傷の左ひざを痛め、14日目の朝稽古は途中で切り上げて治療を受けた。
   同じような状況下で同じような立ち合いを選んだにもかかわらず、14日目の照ノ富士と、千秋楽の稀勢の里とで真逆とも言える評価になった

「奇跡の逆転優勝」へのブーイングはこれだけにとどまらない。
   タレントの伊集院光さんは(自身が担当するラジオ番組の中で)「高校野球で球数を相当投げて、投手生命を縮めているんじゃないかという議論が前々からずっとある。高校生に無理させちゃいけないんじゃないかと」とした上で、けがを押して出てあの中で逆転優勝する稀勢の里を賞賛することは、『高校野球のピッチャー無理しすぎてる、けしからん』っていう事と矛盾していると、同じように体に無理をさせながら出場する両者への評価の違いに触れた。

【感想】
   前日救急車で運ばれる程の大怪我をしていた稀勢の里が強行出場をした事は是か非か?
   結果的には「奇跡の大逆転優勝」と多くの人が賞賛し、稀勢の里は一躍時の人となった。
   しかし、例えばこの出来事を大人は子供達にどう伝えるべきだろうか?ある情報番組では、「教科書に載せても良いような出来事」と褒め称えたパネラーさえいた。同じ調子で、子供達に「稀勢の里のように大きな怪我をしても目標達成のために我慢する強い心を持ちなさい」と教えるのが良いのだろうか?
   おそらく「勝利至上主義」の考え方をする大人ならそう教えるかもしれない。しかし、将来一人前の大人に育って欲しいと思う大人はその考えには賛成しないだろう。将来のために「我慢する勇気」を教えるはずである。
   稀勢の里のように、日頃から想像を絶する様な鍛錬をしているアスリートと子供とを並べて考えるのは余りにも危険である。
   私も子供達には、「自分でできる事は人に頼らず自分の力でがんばりなさい」と教える。しかしその一方で、「『これは自分には無理だと思った時はあきらめなさい。それも立派な勇気だ。そして代わりに大人に助けを求めなさい。」とも教える。

   上記記事によれば、実際に照ノ富士自身も2015年9月場所終盤で右ひざ前十字靭帯を損傷しながらも強行出場を続けたために長く苦しんだとのことである。過去には、まともに歩けない程の右膝の痛みを抱えながらも出場を強行し、小泉首相から「痛みをこらえてよく頑張った!感動した!」と讃えられたあの貴乃花も、結果的にはあの時の無理がたたって引退に追い込まれたそうである。

   プロのアスリートでさえそうなのである。ましてや子供達には、何が何でも自分の力で頑張り通す勇気を教えるよりも、これは自分の力でできるかできないかを見極め判断する勇気を身に付けさせたいと私は思う。

   稀勢の里にも、今回の無理が今後の相撲人生に大きな影響を与えない事を一人のファンとして願うばかりである。

   なお、今回の稀勢の里と照ノ富士への対照的な評価の裏には、両者の怪我に対する報道の仕方の違いが影響していると感じた。決して、「待望の日本人横綱誕生!」と世間が騒いだ事に端を発する“日本人と外国人との差別的意識”によるものではないことを信じたい。