6年前の3月11日午後2時46分。その時私が勤めていた小学校(岩手県の内陸部)では、5、6年生が体育館で卒業式の練習をしていた。
   当時私は、特別支援学級の情緒障害(自閉症)学級担任を務めていた。私の学級に所属していた5年生の知的遅れを伴う自閉症のD児もその練習に参加していた。

   練習の始まる前、特別支援学級の教室で、いつものようにD児に対して卒業式練習会の意識付けを行っていた。
さぁ〇〇君、これからまた卒業式の練習が始まります。余計なお話をしないよう口の準備をしましょう。
口を真一文字に結んだD児は、椅子を抱えて体育館へ向かった。

   練習はつつがなく進み、子供たちは卒業式への希望を胸に練習に取り組んでいた。
   その時である。突然これまで体験したことのないような大きな揺れが体育館を襲った。子供たちを椅子の下にもぐらせ、椅子の足をつかんで離さないよう叫んだ。私たち教師も同じように椅子の下にもぐったが、子供たちに声をかけるため、椅子の脚を持ちながら子供たちに近づこうとした。しかし、あまりにも激しい揺れのために子供たちに近づくことさえままならないかった。体育館の天井にある大きな照明は、ユッサユッサと左右に大きく揺れ、いつ落下してきてもおかしくないような状況だった。ひょっとして体育館の天井が崩落するのではないか?と思い、命の危険さえ感じた。
   そんな状況の中で、D児は必死に椅子の脚を抑え堪えていた。本来感覚過敏な自閉症である。突然経験したこともないような大きな揺れに襲われれば、パニックに陥ってもおかしくない状況であった。事実、半ば泣き叫ぶような声を上げている子供達もたくさんいた。もしかしたらD児は怖さのあまり声をあげることさえ出来ないでいるのかもしれない、そう思った。
「これでもか!」と言うくらい、揺れは長く続いた。一体いつ止んでくれるのか?!体感的には10分近く揺れていたようなそんな長い揺れだった。

   やがて揺れはおさまった。しかし、揺れのせいで停電になり、普段避難訓練で行っているような校内放送による指示はなされなかった。まもなく廊下の方から教頭先生の「校外へ避難しなさい!」という声が聞こえてきた。
   早速校庭への避難が始まった。私はD児のすぐ後につきながら避難した。
   避難した校庭はとても寒かった。そのうちに雪が舞ってきた。子供たちは体育館の練習から直接避難してきたために防寒着は身に付けていなかった。私は感覚過敏な自閉症のD児がこの寒さに耐えられるか心配だった。しかしD児は教室を出発するときに準備した“真一文字に結んだ口”のままで体育座りをし、身動き一つしなかった。寒さの余り体がこわばってしまっているように見えた。
   時間が午後4時を過ぎた頃、ようやく校長先生が「皆さん長い時間ご苦労様でした。揺れはもう来ないようなので、迎えに来たおうちの方と一緒に気をつけて帰ってください。」とお話しされた。その時である。激しく揺れる体育館にいる時から、雪が舞い散る寒い校庭に避難していた時まで、口を真一文字に結んでおしゃべり一つしなかったD児がこう言った。
あ〜つかれたぁ…
その瞬間分かった。D児は怖さや寒さのあまり固まっていたのではなかった。練習前に私と交わした「これからまた卒業式の練習が始まります。余計なお話をしないよう口の準備をしましょう。」という約束を必死に守り通していたのだった。何という我慢強さ!、何という精神力!。自閉症の子供は感覚過敏ではあるが、こうと決めたら頑なに守り通そうとする良い意味での“こだわり”がある。D児はその“こだわり”によってあの強い揺れと恐怖を乗り切ったのだった。

   私自身初めて経験した激しい地震。しかしそれとともに、自閉症の子供の素晴らしい可能性を学んだ忘れられない一日となった。