【今回の記事】
「体罰の定義・ 体罰関連行為のガイドライン」
※東京都教育委員会発表資料

【記事の概要】
教員が、児童・生徒に対して、戒めるべき言動を再び繰り返させないという、教育目的に基づく行為や制裁を行うことを『懲戒』という。懲戒には、事実行為としての注意、警告、叱責、説諭、訓戒や、法的効果をもたらす訓告、停学、退学の処分がある。
   懲戒のうち、教員が、児童・生徒の身体に、直接的又は間接的に、肉体的苦痛を与える行為を『体罰』という。体罰には、たたく、殴る、蹴る等の有形力(目に見える物理的な力)の行使によるものと、長時間正座や起立をさせるなどの有形力を行使しないものがある。いずれも法によって禁じられている。この体罰は、その態様により、傷害行為危険な暴力行為暴力行為に分類される。
   また、暴言行き過ぎた指導は、体罰概念に含まれないが、体罰と同様に、教育上『不適切な行為』であり許されないものである
   また、その「不適切な行為」には、以下の3つがある。
①児童・生徒に「肉体的負担」をかける「不適切な指導(児童・生徒の身体に、肉体的負担を与える程度の、軽微な有形力の行使)
児童・生徒に「精神的苦痛・負担」を与える「暴言等(教員が、児童・生徒に、恐怖感、侮辱感、人権侵害等の精神的苦痛を与える不適切な言動)
児童・生徒に「精神的・肉体的負担」をかける「行き過ぎた指導(運動部活動やスポーツ指導において、児童・生徒の現況に適合していない過剰な指導

   それぞれの具体例としては、
①児童・生徒に「肉体的負担」をかける「不適切な指導
   手をはたく(しっぺ)、おでこを弾く(デコピン)、尻を軽くたたく、小突く、拳骨で押す、胸倉をつかんで説教する、襟首を掴んで連れ出すなどの行為
②児童・生徒に「精神的苦痛・負担」を与える「暴言等
   罵る、脅かす、威嚇する、人格(身体・能力・性格・風貌等)を否定する、馬鹿にする、集中的に批判する、犯人扱いするなどの言動
③児童・生徒に「精神的・肉体的負担」をかける「行き過ぎた指導
   目的は誤ってはいないが、その指導内容・方法等が児童・生徒の発育・発達や心身の現況に適合していない指導、能力の限界を超えた危険な指導等

   それぞれの「想定される事例」については、上記記事をご参照ください。

【感想】
   まず、教育目的に基づく行為や制裁を行うことを「懲戒」と言い、これについては適切な行為とされています。
   その一方で、体罰概念に含まれないが、体罰と同様に、教育上許されない「不適切な行為がある。今回は、普段見逃されがちなこの行為について考えてみたいと思います。(ちなみに、文科省では「不適切な指導」という表現を用いている)

①まず、手をはたく(しっぺ)、おでこを弾く(デコピン)、尻を軽くたたく、小突く、拳骨(げんこつ)で押す、胸倉(むなぐら)をつかんで説教する、襟首を掴んで連れ出すなどの「不適切な指導」。これらは、軽微な痛みを伴う指導と言えます。
   この指導については、「これくらいは許されるだろう」という教師の中の誤った思い込みが起因していると思われます。軽微な痛みであっても、それを指導の材料とすることは許されないのです。

②次に、罵る(ののしる)、脅かす、威嚇する、人格(身体・能力・性格・風貌等)を否定する、馬鹿にする、集中的に批判する、犯人扱いするなどの「暴言等」。これらは、教師の立場を利用した精神的な攻撃と言えます。ちなみに、「罵る」とは「怒鳴って叱る」こと、「威嚇する」とは「脅かす」こと(体罰をする真似をしてびっくりさせること)を意味します。
   これについては、多くの教室で行われてはいないでしょうか。大きな声で怒鳴って叱ったり、「1年生の教室に行って一緒に勉強して来なさい!」「これができなかったら給食はなし!」等と脅かしたりする教師はたくさんいるのではないでしょうか。ひどい場合になると「バカ!」「お前の頭じゃこの問題は解けないな!」等と人格否定をする教師さえいます。

③最後に、目的は誤ってはいないが、その指導内容・方法等が児童・生徒の発育・発達や心身の現況に適合していない指導、能力の限界を超えた危険な指導等の「行き過ぎた指導」。これらは、その児童・生徒には無理な課題を与えて苦しめているのです。いかに正当な目的があっても許されることではなく、これは、もはや虐待の域に入っているのではないでしょうか。
   例えば、知的能力(IQ)の低い子どもに皆と同じ高度なレベルの宿題を与えて、やってこないと休み時間や居残りさせてできるまでその課題をやらせるのもこれに該当するでしょう。宿題は誰でもやれる何度や量の課題を出さないといけないのです。力のある子には、発展課題をオプションとして与えればいいのです。

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   これらは全て、規定があるから守らなければならないのではなく、子ども達の健全な成長のために避けなければいけないことです。教室という閉じられた空間の中で、私達教師は、誤った思い込みで、子ども達を苦しめてはいけないのです。