【今回の記事】
①<育休>延長分の一部、父親に割り当て…厚労省、法改正検討

②女性輝くには「男性が育児」 スーチー氏、蓮舫氏に即答

【記事の概要】
①厚生労働省は、父親の育児参加を進めるため、法定の育児休業期間の延長に合わせ、期間の一部を父親に割り当てる検討に入った。「パパ・クオータ制」と呼ばれ、先進地の北欧などで導入されている。厚労省は最長1年半の育休期間を2年に延長する方針で、その一部を父親の割り当てとすることを軸に調整する。年末までに労働政策審議会の分科会で結論を得て、来年の通常国会で関連法改正案の提出を目指す。
「パパ・クオータ制」は、ノルウェーが1993年に導入し、北欧を中心に広まった。ノルウェーの場合、育休は最長で59週間取得できるが、うち10週間は配偶者が交代して取らないと権利が失われる。今では大半の父親が利用しており、働く女性の出産・育児がしやすくなることで、女性の出生率も向上した。

民進党の蓮舫代表は4日、来日中のミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相と東京都内のホテルで約30分間会談した。蓮舫氏によると、「女性が輝くには」と聞いたところ、スーチー氏が即座に「男性が子育てをすることです」と答えたという。

【感想】
①父親が母親の育児の協力ができるよう国が動き出したこと、それ自体は好ましいことである。しかし、ノルウェーの制度を参考にして、母親の代わりに父親が育児を行うようなことになると、母親が子どもから強引に引き離されることによって、「愛着の形成」と「母子分離」という課題がスムーズに達成されなくなってしまう恐れがある。ちなみに、「愛着の形成」と「母子分離」の考え方については、以下の投稿を参照いただきたい。
愛着の話 No.3 〜お母さんという「安全基地」〜

愛着の話 No.8 〜二、三歳で高まる母子分離不安〜
   また、愛着が形成されないことによって、その子どもの将来にどのような悪影響を及ぼすかについては、以下の投稿を参照いただきたい。
人の一生を左右する乳幼児期の愛着形成の大切さ(修正最新版

   ノルウェーでは、「(育休最長59週間の)うち10週間は配偶者が交代して取らないと権利が失われる」とのことである。それは、母親が仕事に行き、その代わりに父親が育児を行うというものである。もしそうだとしたら、育休59週間つまり、約1年3ヶ月間という、愛着形成のための「臨界期」より短い期間に、母親が赤ちゃんの側からいなくなり、その代わりに父親が世話をするということになる。場合によっては、母親への愛着が形成されないうちに父親が交代するということになり、「愛着の選択性」が破られ、子どもの成長上悪影響を与えることになるだろう。なお、「愛着の選択性」については、以下の投稿を参照して頂きたい。
愛着の話 No.5 ① 〜愛着形成の第一歩は、まず「特定の人」から〜

来日中のミャンマーのアウンサンスーチー氏が、「(女性が輝くには)男性が子育てをすることです」との発言をした。
   まず、「女性が輝く」ということの定義について考えたい。国がこの言葉を使う場合は、「女性が職場で生き生きと働く」という意味で使っているように思う。国としては、労働人口が増えることになり都合がいいのだろうが、果たしてそれでいいのだろうか?
   個人的には、「女性らしく輝く」と捉えたい。つまり、あらゆることを「男女平等」と考えるのではなく、「女性にしか出来ないことを生き生きと行う」、逆に男性も「男性にしか出来ないことを生き生きと行う」と考えたい。「女性にしか出来ないこと」とは「母性」がその基盤にあり、「男性にしか出来ないこと」とは「父性」がその基盤にある。まずそれらの役目を果たしたうえで、それぞれの仕事に就けばよいのだ。ちなみに、「母性」の役割とは「一人目の愛着形成役」「子どもの『安全基地』となること」「子どもの受容」であり、「父性」の役割とは「母子分離の導き」「子どもとの遊び役」「子どもの躾役」である。人類の使命は子孫の繁栄であるから、必然的に、男女それぞれの役割も、子どもの健全な成長に資する役割になるのはごく自然な考え方である。
「男女平等」という意味は、もともと「女性の役割は、家庭にいて男性を支える」という昔の男尊女卑の考え方を否定したものであり、あらゆることを男性と同じようにするという意味ではない。つまり、育児も父親、母親が交代して同じように行うという意味ではないのだ。しかし、記事②でのアウンサンスーチー氏の「(女性が輝くには)男性が子育てをすることです」との発言は、その文字面をそのまま解釈すると、その誤った育児に対する考え方を誘発しかねないものであり、記事①での国の「育児の男女交代」という考え方を後押しするものである。もしもそんなことになってしまったら、本来の「母性」と「父性」の働きが破壊され、多くの人が「愛着不全」に陥ってしまうことになる。