(前回からの続き)
   次に、親の気まぐれな養育や、できた時とできなかった時との接し方が極端に違う養育を受けた赤ん坊はどうなるのでしょうか。つまり、褒める時は褒めるが、そうでないときは厳しく叱責する親に育てられると、子どもたちは、できるだけ親から好かれたいと思うので、親が優しくしてくれているうちに過度に親に甘え、親が自分の前から消えないように親の注意を引こうとがんばるでしょう。それだけでなく、いつまた自分の前からいなくなるかも知れない、そういう不安と戦いながら毎日を過ごすのです。その結果、他人の顔色をうかがいながら行動する子どもになると考えられます。その子の安全基地は、その子の前に現れたり消えたりするのです。
   最後に、親から虐待を受けた赤ん坊は、親のことが好きなので親に近づこうとしますが、その親から暴力を受けて心に傷を受けます。しかし、やはり親のことが好きなので、虐待を受けながらお「親から愛されなかったのは、自分が虐待される必要のある悪い子だったのだ」と自分を責めるために自信を持てません。そのために自分を否定的に捉えることになります。更に、本来なら外界から受けたストレスを癒す存在であるはずの安全基地が危険基地となるために、いつも基地の外で懸命にストレスと戦わなければならなくなります。その結果、心は荒れ果てて、「自分は生きていてはいけない悪い存在なのだ」と考えるようになります。さらに成長するにしたがって、「自分は社会の範疇の外にいる存在だ」と思い込み、平気で嘘をつき、社会のルールを破ったり、道徳や常識を踏みにじったりします。一番怖いのは、良心の呵責を感じず、人を傷つけたり殺したりしてしまうことです。