【今回の記事】
①死刑はほんとうに「極刑」なのか?

②宅間守(吉岡守)について

【記事の概要】

①2001年6月、大阪の池田小学校に男が乱入し、出刃包丁で児童8名を刺し殺しました。犯人は幼少時代から奇行や暴力行為を繰り返し強姦事件で少年院に服役したあと、職を点々としますがどれも長つづきせず、「このまま生きていても仕方ない」と思うようになります。しかし自殺する勇気がなかったため、1999年の池袋通り魔事件(2人死亡6人重軽傷で死刑確定)、下関通り魔事件(5人死亡10人重軽傷で死刑執行)を見て、死刑になることを目的に犯行に及んだと供述しています。事実、男は地裁で死刑判決が出ると控訴を取り下げて死刑を確定させ、その後は「6カ月以内の死刑執行」を求め、執行されなければ精神的苦痛を理由とする国家賠償訴訟請求を起こす準備をしていたといいます。こうした奇矯な行動のためか、判決が確定してからわずか1年で死刑を執行されます。収監中に死刑廃止運動家の女性と獄中結婚し、最期に妻に「ありがとう」の伝言を述べたといいますが、自分が生命を奪った児童やその遺族への謝罪はいっさいありませんでした。

宅間守は1963年11月23日、兵庫県伊丹市の工員Sの二男として生まれる。守が生まれる前、母親は妊娠を喜ぶ父親に対して「あかんわ、これ、堕ろしたいねん、私。 あかんねん絶対」と言ったという。母親が守を宿した時に何を感じたかわ分からないが、守は幼少の頃から三輪車で国道の中心を走って渋滞させたり、動物を虐待するなど 反社会的行動が目立っていた

   同容疑者は物心がつくかつかないうちから父親に叱責、殴打、ときに木刀も不利折らされる環境で育ったという。安全地帯であるはずの家庭。そこですら安住できず、蓄積したストレスは、学校や小動物に向けられ、爆発する。

   小・中学時代から強者に迎合し、自分より劣ると判断した同級生を「奴隷」と名指しした。「宅間さま」とかしずかせ、「調子に乗るな」と因縁をつけて暴行。女生徒が横切れば、唾を吐きかけた。そればかりではない。燃やしたドラム缶に生きたままの猫を入れたり、布団です巻きにして川に流す。成長するにつれ、些細なことで母親を殴り、家庭内暴力を繰り返したという。

【感想】

   あの衝撃的だった池田小学校事件。事件を起こした宅間守は、死刑になるために事件を起こし、早く死にたいために国家賠償訴訟請求を起こす準備をしていた。
   そんな彼の生い立ちは、あまりにも凄惨過ぎるものだった。出産を望まない母親。物心がつくかつかないうちから父親に叱責、殴打、ときに木刀も不利折らされる環境で育ったという。安全地帯であるはずの家庭が、彼にとっては全く逆の場所になっていたのである。彼にとっては、母親という「安全基地」なるものは、別世界のものだったのである。その後、家庭で蓄積したストレスは、学校や小動物に向けられ、爆発する。
   彼は、完全な愛着不全である。しかも、精神科医の岡田氏が差すところのどの家庭でも起こり得る「愛着障害スペクトラム」ではなく、父親からの叱責、殴打、ときに木刀も不利折らされる環境で育った彼は、何倍も症状の重い「反応性愛着障害」であったに違いない。母親への暴力も、父親から受ける仕打ちで溜まってしまったストレスを発散させるためのものだった。
   そんな環境で育った子どもが、まともな人生を送れるわけがない。強姦事件を起こし少年院に服役した後、職を点々とするがどれも長つづきせず、「このまま生きていても仕方ない」と思うようになり、死刑になるために池田小学校事件を起こした。当然の結果である。

   世論は、当然のことながら彼を極悪人と呼んだ。しかし、実は彼も両親による危険環境が作り出した被害者なのである。「彼も」というのは、以前に以下のように投稿した神戸連続児童殺傷事件を起こした少年も、母親のヒステリックな叱責によって作り出された被害者だったのである。ただ、こちらの事件の場合は、両親ともに普通の家庭で起きた事件だっただけに、「対岸の火事」ではない。
不安定型愛着が要因となる小動物の殺傷〜神戸連続児童殺傷事件を振り返る〜

   子どもは親を選べない。愛情たっぷりの家庭に生まれる子どももいれば、今回紹介した彼らのように安全性が脅かされた危険家庭に生まれる子どももいる。やりきれない気持ちである。
   死刑に処されるべきは、実はその人間を育てた親なのかもしれない。