前回の続きです。

   国立教育研究所の滝充氏は、いじめが発生するメカニズムについて「加害者の子どもたちは、自分が置かれている環境家族や学級等に適応できず不満を抱き、それによってストレスを溜め、それを被害者の子どもに向けて発散している」と結論付けた。

   加害者の置かれている環境が原因ならば、それらに関わる問題を解決すれば、いじめは無くなるはずである。そこで今回は、加害者が置かれている環境を学校と家庭とにしぼり、それぞれの環境の問題点を明らかにしていきたい。

   まず、学校環境について考えてみる。学校の生徒指導については、これまでも、本ブログで以下の投稿で取り上げてきた。
「『指導死』の現場から 〜『暴言ではないが、子どもの尊厳を傷つける指導』を考える〜
「『指導死』を考える 〜教師による感情的な暴言、事実確認のない厳しい指導〜

   とりわけ、中学校における生徒指導の問題は深刻である。「教師による感情的な暴言」「事実確認のない厳しい指導」「子どもの尊厳を傷つける指導」など、生徒の気持ちを無視した教師の思い込みによる指導や、生徒にレッテル(教師の印象の押し付け)をはり、生徒の尊厳を軽視した指導が報道されている。この実態は、おそらく多少の程度の違いはあるにせよ、全国的な傾向と思われる。
   このような環境の中に置かれた生徒は、当然不満を抱き、ストレスを募らせるはずである。とりわけ、普段から生活態度の良くない生徒となると、教師から目をつけられやすく、「問題のある生徒」というレッテルを張られやすく、より一層ストレスを抱くに違いない。

   では、その普段から生活態度の良くない生徒とそうでない生徒との違いはどこから生まれるのか?それは家庭環境の違いである。

   ここから、家庭環境について考えてみる。家庭環境はとなると、その問題は学校環境よりも更に劣悪になる。精神科医の岡田氏が「多くの家庭で見られる」と危惧しているのが、家庭内での親から子どもに対する刺激の強い言葉遣いである。これまでも度々お話ししてきたように、親が使う乱暴で支配的な言葉は、子どもから本来ならストレスを癒す機能を持っているはずの親という「安全基地」を失わせることにつながる。この乱暴さにも家庭によって程度の違いがあり、場合によっては、まるでヤクザのような言葉を子どもに浴びせ、子どもを非難する家庭がある。このような環境の中で、子どもが抱えるストレスは計り知れない。家庭の中では、父親がいれば父親からの攻撃に必死に耐え、母子医家庭であれば、母親からの言葉に対する不満をぶつけ乱暴を働くようになり、子どもの心はどんどんすさんでいくばかりである。そういう子どもが学校に行けば、子どもは家で溜めたストレスを学校で晴らし、無意識のうちに自分の中でバランスを取ろうとする。これは一種の適応行動である。家庭でも我慢し、学校でも我慢していたら、自分自身が崩壊するからである。そうしているうちに、そのストレス発散行動が、先に紹介したような教師の目に止まり、更に尊厳を無視した 指導を受ける。
   以前、以下のような投稿をした。
子どもの「反発スイッチ」をONにしてしまう親の「オーラ
この子どもの「反発スイッチ」をONにしてしまう親の「オーラ」をいつも漂わせていると、子どもはストレスを溜め、友達に向かって発散することになる。

   以上が、いじめが起きるメカニズムであると考える。つまり、いじめをする子どもたちは、子どもの尊厳を軽視した家庭、学校での「大人環境」に適応できず、その結果としてバランスを取るために友人へのいじめに走るのである。
   以前紹介した投稿で、自殺した生徒の遺書に悪いのはいつもオレだ 誰が正しくて誰が間違っていても関係ない」と記されてあった。その言葉は、家庭でも学校でも責められ、いつも悪者扱いされ自暴自棄になったその生徒の心の叫びだったのではないだろうか。
   子どもに悪い子など一人もいない。ただ劣悪な「大人環境」に適応できずに、結果として「いじめ」という行動をとりながら、もがき苦しんでいるのである。