【今回の記事】
同性愛を暴露され自殺…両親が同級生らを提訴

   一橋大学法科大学院の男子学生は去年4月、同級生に対し、自分が同性愛者であることを伝えたが、この同級生がLINEを通じて複数の同級生に暴露したということである。男子学生はその後、差別を受ける不安などから自殺したと見られている。

   自殺した男子学生は、それまでひた隠しにしてきた思いを「彼なら自分の気持ちを親身になって受け止めてくれるに違いない(または、自分が好きであることを告白した?)」と、この同級生を信頼して知らせたに違いない。しかし非情にも、自殺した大学生の思いは踏みにじられ、LINEを通じて複数の人間に知られる事となってしまった。
   自殺した学生が実は同性愛者であったということを伝えられた同級生は、LINEで伝えた情報が仲間はもちろんのこと、仲間以外に対しても広まりはしないか、そしてその友人たちがどんな目で彼を見るか、仮にも大学院生であるのだから予想に難くなかったはずである。あまりにも低すぎる“危険予測能力”と言わざるを得ない。それとも、ちょっとしたいたずら心が芽生えたのだろうか。小学生ならまだしも、大学院生であるこの学生によるこの行動はあまりにも稚拙である。
   また、自殺した学生の親は自分の子供が同性愛者であることを我が子から聞いていたのだろうか。この事に関する記述はニュースの中には記されてはいないが、「自分が同性愛者であるなどと言うことを親に言ったものならば、どれだけ怒られるか分かったものではない」と思ったのかもしれない。現実にはそのケースの方が圧倒的に多いかもしれない。
   一般的に、重篤な事態に陥った際に、子供が自分の親に相談しないケースはあまりにも多い。それは、それまでの子供に対する親の接し方によるところが大きい。
   世の中の親御さんは子供の話に真摯に耳を傾けているだろうか。理由も聞かず頭ごなしに「それはお前が悪い」と叱ってはいないだろうか。我が子の命を失った後に、そのことをいくら悔やんでも仕方がないのである。
    本来ならば、「私の親は自分の悩みをいつも真剣に聞いてくれる」という思いから生まれる、子供の親に対する愛着心、つまり親を信頼し愛する心は、いかなる時も「安全基地」となってその子の心を支えるものなのである。