皆さん、こんにちは吃音持ちの大学生(男)です。このブログでは、吃音を持っている私がどのように考え、何を思ったのか、備忘録がわりに書くものです。そして、皆さんと少しでも共有できたら嬉しいと思っています。
で、そもそも吃音とはなんぞやと申しますと、
吃音(きつおん、どもり)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつです。単に「滑らかに話せない(非流暢:ひりゅうちょう)」と言ってもいろいろな症状がありますが,吃音に特徴的な非流暢には、以下の3つがあります。
- 音のくりかえし(連発)、例:「か、か、からす」
- 引き伸ばし(伸発)、例:「かーーらす」
- ことばを出せずに間があいてしまう(難発、ブロック)、例:「・・・・からす」
要するに、話がうまくできないのです。私は、吃音の中でも難発と言われるもの(言葉が出てこない)にかれこれ、高校生の頃から悩まされています。
流れで、軽く自己紹介をすると、私は、吃音・人見知り・臆病の三種の神器(嬉しくない)が揃った大学生です。吃音以外は、親に聞くかぎり小さい頃からあったようですが、吃音を初めて自分で理解したのは高校生の頃です。そんな性格だからか、小学生で一度不登校になり、中学校は3年間頑張りましたが、普通科高校に通ったところで心が折れ、通信制高校に転校しました。時間があったのでバイトをしていましたが、吃音は改善せず、このまま社会に出て働くことはできないだろうと悲観して必死に勉強し、なんとか大学に合格し、今に至ります。
このブログでは、吃音持ちの私のことをできるだけ明るく書いていこうと思っております。
(性格が元からひねくれているので、どうなるかはわかりませんが・・・)
第一弾として、友達についてです。こんな私でも、小学生・中学生の頃には、友達がいました。今考えると、「昔の私すげぇ」と驚嘆するばかりです。いい意味で何も考えてなかったんでしょうね。吃音を自覚してからは、自分から人を遠ざけるようになり、もちろん人と会話してないので、吃音なんて治るわけもなく、ついでに元からのコミュ障ぶりに拍車がかかり、人と交流するの怖いマンが誕生したわけです。でもね、そんな私にも憎たらしいけれど、友達歴を長年更新しているやつがいるのです。皆さん、わかりますか?
A.吃音くん/ちゃん です。こいつは確かに憎たらしいけれど、なんやかんやで付き合いが一番長いです。
なぜ、苦しめられてきた吃音を「友達」と呼ぶのか。それは、私のこいつに対する思いがあるからです。
吃音は、私に決定打を加えました。もともと人付き合いが得意でなかった私をさらに、人から遠ざけるようになりました。でも、悪いことばかりじゃありませんでした。それは、人の痛みがわかるようになったからです。自分が傷ついて初めてひとの痛みに気づくと言うのもどうかとは思いますが、間違いなく吃音は、私に本当の「優しさ」を与えてくれたような気がしています。吃音は目に見えないものですが、私以外だって悩みを抱えている人は大勢います。抱えていない人の方が珍しいのかもしれません。それまで自分のことしか考えられなかった私が、人に目を向ける機会を与えてくれました。今では、コンビニの店員さんに支払いの後、「ありがとうございました」と下を向きながらも挨拶できるようになりました。(えらい)
吃音を否定することは、今の私も昔の私も否定することになると思っています。実際、吃音とともにあった時代ですから。だったら、吃音を肯定的に捉えるしかない。私にとって、それは友達という関係だったのです。
私は、人を恨み、こいつがいなければ・・と考えるのではなく、あらゆる出会いを大切にして、何事も良い経験として捉える生き方をしたいです。だから、こいつは友達なんです。そうしないと、ダメダメな私は、自分を嫌いになってしまうから。
とは言ったものの、納得しているわけではありません。葛藤を抱えながら生きています。このブログは、それを吐き出すためです。(全然明るくない話ですみません)
話逸れますけど、現アメリカ大統領のバイデンさんも吃音持ちだったようです。彼も吃音によって人の痛みを知れたとのことを話しています。(YouTubeにあるはず)私も同意です。繰り返しになりますが、吃音は私にプラスの面でも影響を与えてくれたことは事実です。こいつとどうお付き合いしていくか、悩みどころです。仲良くなれるといいな。
気づいたら、レポート並みの字数になってしまいました。慣れていないので至らない部分もあるかと思いますが、よろしくお願いします。