今回は、オンライン講義について話したいと思います。

私が入学した頃に、ちょうどコロナが流行りだし、一年生の頃は、授業として大学に行くことはありませんでした。

余談になりますが、受験勉強中も吃音が出ていました。

幸いなことに、特に塾などに通うこともなく、大学に現役で合格できたわけですが、一人で自習中にも吃音の症状は出ていました。

特に、英語の勉強ですね。その頃は、英語は音読こそ至上!と思っていたので、一人でボソボソと英文を唱えていたわけですが、

なんとまあ驚いたことに、その最中にも吃音が出るわけですよ。

吃音は、一人だと出ないとか、英語なら出ないとの情報もネットにありましたが、私にはそれは当てはまらず、めちゃくちゃスロースピードで音読していました。

 

 

閑話休題。

で、晴れて大学に入学した私でしたが、「夢のキャンパスライフ」とはならず(そもそも望んでない)、慣れないPCと睨めっこしながら、授業に取り組んでいました。

そこで、問題となる科目が出てくるわけです。それは、英語や二外と呼ばれる語学系と、講義系ではなく発表もしなくてはいけない授業です。後者については、教授たちもオンラインでの授業に慣れておらず、発表など発話を要求されることはありませんでした。

特に、問題であったのが、二外です。その授業では、教授が双方向の授業を重視しており、授業中に必ず誰かが当てられ、指定箇所の音読や訳を求められます。吃音持ちに共通するのかわかりませんが、慣れない文章ってますますハードルが上がるんですよ。

さらに、その言語では、イントネーションを上げないといけないという文が必ず出てきて、それが私にはまっっっっったくできませんでした。

 

さて、どうする?結果論として、私が一年生の頃の二外の授業、多分全部で60コマ

(90分×60コマ=5400分=90時間 よう頑張った私!)

で当てられた回数は、片手で数えられるほどです。割と、その教授の当て方に偏りがあったのです。(クラスは、全員で30人程度)不幸中の幸いにして、難局を乗り越えられたのです。

 

 

でも、どうやってその数回を乗り越えたの?と疑問に思われる方もいるかも知れません。

では、お伝えしましょう。私が、艱難辛苦の果てに手に入れた究極の奥義を。(調子に乗ってすみません)

それは、IPhoneのボイスメモです。つまり、事前に当てられそうな箇所を録音しておくのです。

(おかげで予習は捗りました)

通信量が大きくなると、画面が止まるなど不具合が生じるため、顔出しはしなくてもよかったので、悠々とスマホを操作し、録音した音声を流していました。特に指摘されることはなかったので、大丈夫じゃないですかね。(すっとぼけ)

(※悪用厳禁、当方は同じようなことをしてバレても責任を負いません)

 

 

しかし、当然の疑問として浮かぶでしょう。「お前、吃音を出さずに録音できたの?』と。

実は私、なぜかボイスメモを前にすると、吃音が出にくくなるんですよ。ビデオで事前に録画したものを提出するという英語の課題もあったんですが、(発音はともかくとして)余り吃音はでなかったです。

これはあれですね、私には俳優としてのの才能があるかも知れません。今のうちに、目をつけておいてください!

 

 

というのは冗談で、私にも一体何で吃音が和らぐのかわかりません。あくまで和らぐだけであって、流暢に話せるわけではないです。

というようにですね、私にとってオンラインでの授業は、苦痛ではなかったです。むしろ、オンラインでなかったら、一日中吃音のことばかり考えて、単位を取るどころじゃなかったかもしれないです。

今学期からは、対面の授業も出てきて、無口でクールな私として振る舞っていますが、いつ素性がバレるか常にビクビクしています。でも、オンライン授業は、人との交流を避けるのに絶好の口実であって、それを言い訳にして嫌な現実から逃げてきたのも事実です。少しずつ頑張ろうと思います。

 

 

あせってはいけません。
ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。by 夏目漱石

(突然の引用すみません、でもこうした名言は、割と自分の糧になってるので紹介させていただきました)

 

自分のペースで、ゆっくりでもいいから、自分を変えていこうと思います。

ただ、前回も書いたように、変えるというのは、過去や現在の私を否定することと同義ではないと思います。苦しんだ過去も悩み続けている今も、いつの日かいい経験だったと思えるような、そんな明るい自分へとなれるように毎日を生きていきたいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。