こんにちは
セルフパートナーシップについてお伝えしている
平山みほです
今日はお天気がいいので外でランチをして、今は昼下がりのハッピーアワーでシャンパンを頂いてます
グラスの中で沸き立つ泡が最高に美しいです
今回は、Diplomaコース内での個人コンサルについて書いて行こうと思います。
オンラインでの第一回目の講座が終了し、これからどんどん内容が深まっていく前にしっかり未来の自分に不要な記憶や価値観を書き換えして、セルフイメージをあげていくことが目的です!
素晴らしい講座内容もそれを受け取る心がネガティブなものばかりだと受け取り切れないですよね
改めて今日はヒロコ先生との個人コンサルを聞き直してみました。
何度聞いても、違うところで気づきがあって面白いです
実は母とは仲が良いとはお世辞にも言えないような関係性でした。
このセッションを受けた当時、頭では母を許すこと、受け入れることが今の私には必要で、そのためのセッションだと理解はしていたのですが、許す、受け入れるってそうしようと思ってもできるものではなくて、湧き出てくるものだと思うのです…なのでこの時は正直、セッションが終わってもその感情は湧き出てきませんでした。
これまで感じていた視点とは違う視点で母を見たり、母の生い立ちを思い出し、その上で発せられる母の言動に思いを馳せることができて、これまでの母を完全拒絶‼︎よりは少し心を寄せられていたと思うのですが、なんだか…、あともう一歩がスッキリしない…。ちょっとだけもやもやして終わったんです。
でも実はここからが本番とばかりに、個人セッション終了後から閉じていた感情の蓋が開き、次々といろんなことを思い出し、都度これまで感じることのなかった感情に出会い、母の存在に感謝できるように。
そして最終的にこの講座が終わる頃には、
本当は「お母さんだーいすき」って言いたかったんだなと自分の本音に気づくことができました。
昔、母に褒めてくれなくて悲しかった、こんなこと言われて悲しかった、寂しかった、辛かったとぶちまけたことがあります。
その時はそれらの感情が自分の「本音」だと思っていたんです。
母に伝えたはずなのに、なんだかもやもやしたままだったのを覚えています。
そして、母もとても申し訳なさそうな顔をしていました。
もやもやしたのは、それが本音ではなかったから。
こじらせてこじらせて、起きた出来事を通して「お母さんは私のことなんて嫌いなんだ」「お母さんは私のことなんて気にもしていない、いなくなってもきっと悲しくないんだ」「私は邪魔者なんだ、いない方がきっといいんだ」って思っていました。
子供だから大人の事情はわからないし、言われたこと見たこともそのままストレートに受け取ってしまうのは当たり前のことなんですけどね。
なので、素直にお母さん大好きが言えなかったんです。
言ってもその言葉を受け入れてもらえなかったら心底悲しいから。
お母さんなんて大嫌いって思う方が子供の頃の私には楽だったんですね。
唯一、自分の心を守る方法だったんだと思います。
相手を好きじゃないと思った方が楽。
だから私は家の窓の木枠に“ママなんてだいきらい“って鉛筆で力一杯書いたんです。
母はそれを知っていました。
そんな母とのエピソードや母の生い立ちなどを話していって、ヒロコ先生に言ってただいたのは
母自体があまり“愛情を受けて育った感覚がない”のでは?ということ。
母自身が親を頼ったこともなければ、甘えたこともないのでは?と。
確かに、過酷な家庭環境からしっかり者にならざるを得なかった母からしたら、私の存在には何かしら感じるものがあったと思います。
母の父はお酒に溺れて家族に迷惑をかけてしまうような存在だったと聞いています
同じ女性で、長女の私には意識せずに自分を重ね合わせていたと思います。
それが、小さな女の子でも、我が子であっても
母としては自分とは全然違うものだから男の子は可愛い、もう無条件に可愛い。
私の中では兄は母に愛されていて、私は愛されていないと感じていました。
お父さんが大好きで無邪気に甘える私に、決して感じてはいけない嫉妬心もあったんじゃないかと振り返りました。
父にとっても初めて女の子で顔をくしゃくしゃにしながら可愛がっていれた記憶があります。
父の膝の上は私の特等席で、父が運転する時は私が必ず助手席だったんです。
この母の私に対する嫉妬心は完全に私にはなかった視点でした。
もし母の中に嫉妬心があったとしたら、私に対する意地悪な発言はなぜだと思う?と問われました。
「。。。」
まーーーーーーーーーーーったく答えが出てきませんでした。
見当がつかない、なぜ意地悪な発言をするかってそんなの私のこと嫌いだからでしょう?って思いました。
頭の中???で全く見当がついていない私にヒロコ先生がそっと教えてくれたのは、
きっとお母さん「私をもっと見て」っていうサインだったのかもよ♪と
変化球すぎて、大人になった今でもそこの考えには至りませんでした。
大の大人であるお母さんが小さな子供の私に嫉妬をして、“お父さんじゃなくて私を好きになってよ、私をもっと見てよ“なんて考えてたなんて‼︎
衝撃すぎました、この視点には!
きっと母自身も意識はしていなかったんじゃないかなと。
私一人じゃ絶対に持てなかった視点でした。
無意識の書き換えが一人ではできない理由はこれだなと心底納得できました。
本を読んだだけで書き換えられないのも同じ、自分の狭い価値観の中でしか答えを出せないから結局何も変わらないというのは本当にその通りだなと思いました。
母の中でこういう風に愛されたっていう経験がないから。
きっと、母も模索しながらだっただろうし、傷ついてもいたんじゃないか。
そう思ったら、いろんなことを思い出したんです。
保育園の運動会で一緒に走った親子競走(手を繋いだ唯一の記憶)
小学校から高校卒業までずっと作ってくれたお弁当
雪道で車が1回転スピンした時とっさに私を守ってくれたこと
お弁当に大好きなさくらんぼを入れてくれたこと
小さい頃の写真がたくさんたくさんあること、いろんな瞬間の思い出が写真に残っていること
そして写真の中の私は満面の笑みで写っていること
いつの間にか、傷ついて勝手な思い込みでフィルターを作って、壁を作って、愛さないって決めてたんだなと。
全部一人芝居で、母の立場で考えたことがなかった、母の視点で物事を見てなかったと気がつきました。
何日も自分の中で湧いてきた母への思いを感じていると、ふと「お母さんだーいすき」って浮かんだんですね。
それをぼそっと声に出してみたら、
大号泣でした。涙が止まらなかったです。
ひとしきり涙が出て、なーんだこれが言いたかったんだな〜私って思いました。
素直じゃなかったな〜って。
それと同時に本当はこれを言いたかったのにずっと我慢していたんだなと思ってまた涙があふれました。
今度は、今の私が小さな私に「ごめんね、我慢させて」と。
仲直りした瞬間であり、自分の本音を知る初めての体験でした。
頑固に頑固に辛かった悲しかった寂しかったを持ち続けていたのは私だったし、その選択をしていたのも私だったという気づき。
“それってこれからの私に必要?”
また、私の中から問いが湧いてきました。
答えはもちろん “NO!”
もう手放そう、そのタイミングだと心の底から思えました。
もしかしたら、そう感じるタイミングは今後また来るのかも知れない、でもその度にまた自分の本音と向き合って選択すればいい。
すごーく心が軽くなった感じと、自分の中の何かが広がった感覚がしました。
きっと愛の器が広がったんだな♪
母が嫌いという目でしか母を見ていなかった
母が何をしても何を言っても私は受け取らないと決めてしまったがために愛を受け取る器がざるになっていた
ボタンのかけ違いだけだったんだ
ちゃんと愛されてたんだ
これまでのわだかまりがとれ、全く違った目で母を見れ、これまで堰き止めていた愛を一気に受け取れました。
たった1時間ほどだったけれど、私の中の大きな思い込みが外れるきっかけになったのはいうまでもありません。
私以外の受講生の方の個人コンサルも聞かせていただき、そちらも自分自身に当てはまることが多く、とても学びになりました。
状況は違ってもうんうん、わかるがたくさんあったし、その都度発するヒロコ先生の言葉もなるほど、そんな風に捉えたら良いんだな、書き換えたらいんだなと深い学びになりました。
心の深いところを曝け出すことができ、この頃から徐々に元気も回復していったのを覚えています。
心が軽くなったんですねきっと。
大嫌いなほど、大好きな存在だった
自分の中に母に対する愛があって安心しました
最後まで読んでくださりありがとうございます!
ではまた次回
Thank you so much!
xo miho