音程が外れ…浜崎あゆみは“輝き”を取り戻せないのか?

 

私がいま最も…は、言い過ぎにしても、とても注目している歌手。

 

それは浜崎あゆみです。皮肉のつもりはありません。

 

私は最近思うのです。

 

「AYUってもしかして、現代に生きるビリーホリディBillie Holidayじゃないか?」と。

 

 

 

 

 

 

 

「浜崎あゆみの黄金時代、それはおそらく99年から01年くらいにかけてである」

 

多分これはおおよそ全員の共通認識であるといって差し支えないと思います。

 

そして私のローティーン時代は、まさにこの頃とガッツリ一致します。

 

つまり、私世代にとってのAYUは、平たく言えばスーパースターでした。

 

現在で言ったら、テイラー・スイフトとか、アリアナ・グランデみたいなもん…多分。

 

(すいません、日本人で思い当たるのが浮かびませんでした)

 

当時の私は、狂ったようにニルヴァーナを聴きまくる、友達のいない高校生。

 

なので、特別彼女にのめりこんだ記憶はありません。

 

とはいえ、嫌いだったというわけでもなく、

 

少なくとも迸るエネルギー(ダサい表現をすれば、カリスマ性)は感じ取れました。

 

以前、オアシスについて書いた時と同じ表現(恐縮です)をすれば、

 

あの頃のAYUは、

 

若さと勢いが潜在能力以上のものを引き出している状態だったのではないかと、

 

今振り返ると本当にそう思います。スーパーサイヤ人化していたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

で、件のMステですが、

 

生放送を実際に見たわけではないのですが、

 

なんかの動画で音質の悪い状態のものを見ることはできました。

 

(あの端にちらちら映ってた、ザ・ジェンダーフリーは何なんだ?)

 

そのうえで感じたのが、冒頭のビリー・ホリディなわけですが…

 

ビリー・ホリディについてはこちら

 

 

 

まぁ、我ながら短絡的な理由です。

 

ビリーの生涯と、AYUの半生は結構重なり合う部分があるのです。

 

 

 

 

 

不遇な子供時代を送り、

 

身一つでのし上がり、

 

男と浮名を流し、

 

心身に異常をきたし(かたや酒と薬、かたや耳の病気)、

 

それがパフォーマンスに悪影響を及ぼし、

 

さんざんに酷評され、

 

 

 

 

 

 

 

そして一番大事なこと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでも歌っている」

 

 

 

歌い方は変わったのでしょう。高音も出ないのでしょう。

 

…太ったのでしょう(巨乳というか、バストも太ったということでは?)。

 

…そして、まぁ老けたのでしょう。

 

いろいろごまかすために、演出とかダンサーとか入れるんでしょう。

 

でも、ごまかしきれなくなっちゃってるのが、2017年現在の彼女なのでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにがいかんのか?」と言いたい。

 

AYUは死ぬまでお姫様じゃなきゃいかんのか?

 

アイドルはウンコとかしちゃいかんのか?

 

話が逸れた、すいません。

 

ごまかしきれなくなったことで、私はAYUの情念のようなものを

 

彼女の歌から感じ取ってしましました。

 

情念、あるいは執念。

 

私がビリーの歌に感じるものも同じ。

 

 

 

 

 

 

 

私の勝手な考えなので多分9割がた違いますが、

 

多分彼女たちは歌っていて楽しいとか、あるいは音楽の歓びとか、

 

そういうことはもう感じていないのではないかと思ってしまいます。

 

多分、「歌わないと死んでしまう」とかいう気持ちなんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

死にたくないから歌ってる

 

 

 

 

 

 

それをピュアな表現というのは間違っているのでしょうか?

 

 

 

ネットのディスに負けて挫けちゃうような情熱なんて本物じゃないよね。

 

 

 

ろくに何もしてない分際で「紅白落としやがった」とかほざいてる、

 

そんな歌手より、私はAYUの方がよっぽど素晴らしいと思います。

 

 

 

 

現在の情念がこれからどう変化していくのかな?

 

というわけなので、今後もMステ出続けてください。応援してます。