お寺の入り口にある清滝川に架かる朱色の橋は、指月橋(しげつきょう)と呼ばれ、新緑や紅葉の時期に絶好のフォトスポットになります。
そもそも、京都の西明寺とは、高雄エリアに位置する歴史あるお寺です。
拝観料を納めて、境内へと向かいましょう🎵
前述をしましたが、西明寺は隣接する神護寺、高山寺とともに「三尾(さんび)の名刹」の一つに数えられ、古くから紅葉の名所として親しまれてきました。
西明寺の境内まで、情緒ある石段を昇ることになるのですが、この辺りの景観が堪らなく心に響くものがある…
大寺院の絢爛豪華さや広大な伽藍とは異なり、ひっそりと佇む古刹には、時間の重みが醸し出す、変わらぬ自然と厳かな静寂。
昨日の市街地での「青もみじ」とは変わり、西明寺へは抜群のタイミングで訪れたかもしれない☺️
色づいた木々が折り重なり、まるで波が打ち寄せるように一面に広がっている圧巻の風景…
紅葉した木々が波のように広がる絶景は、まさに「錦秋の波」


自然の織り成す絶景に、しばし、目を奪われましたが、それではこれから、西明寺の境内へと突入しましょう

ここ西明寺(平等心王院)の歴史は古く、平安時代の天長年間(824年〜834年)に、空海(弘法大師)の甥であり、十大弟子の一人である智泉大徳が、神護寺の別院として開いたのが始まりです。
その当時は、僧侶が戒律を学ぶ道場としての役割を担っていました。
一時、荒廃をしましたが、鎌倉時代の建治年間(1275年〜1278年)に、自性上人によって再興されました。
1290(正応3)年には、後宇多天皇より「平等心王院」の院号を賜り、神護寺から独立しました。
本尊の「釈迦如来立像」は、運慶の作と伝えられており、嵯峨野にある清凉寺の有名な仏像を模して作られたものとのこと。
江戸時代に入ると、5代将軍・徳川綱吉の生母である桂昌院の寄進により、1700(元禄13)年に、現在の本堂や表門が再建されました。
京都市の指定有形文化財となっています。
因みに、本堂のそばには、樹齢約700年の「槙の古木」があり、地名の由来になったとされています。
再建された本堂から客殿へと向かいます🎵
で
その再建に尽力したのが桂昌院ですが、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
徳川幕府5代将軍・徳川綱吉の生母であることは有名ですが、私はブログの作成にあたり、いろいろと調べてみると…
熱心な仏教信仰に基づき、江戸や京都・奈良において、大変多くの寺社を創建・再建したことに気づかされます。
そもそも、桂昌院が西明寺を再建した主な理由には、自身の出生や成長に関わる京都の寺社への信仰と、元禄時代における社会事業的な寺社復興の一環だったと言われています。
一説では、桂昌院は八百屋の娘から将軍生母という「玉の輿」を体現したとも伝わります。
桂昌院は京都の出身であり、自身の成功に伴い、実家やゆかりの深い寺社に多額の寄進を行い、建物を修復・再興することで自身の威光を示し、実家の繁栄も祈願しました。
当時の徳川家は仏教を重んじており、大奥のトップとして社会的な影響力を持っていた桂昌院は、寺社の再建を行うことで「徳」を積み、現世と後世の安寧を願う動機もあったそうです。
客殿の座敷や縁側に座ってのんびりと紅葉を鑑賞を楽しむ、庭園の木々や本堂を彩る見事な紅葉を眺めることができます。
本堂の右手にあるお堂は、ヒンドゥー教のガネーシャに由来する秘仏の歓喜天(聖天様)を祀る建物です。
商売繁盛や現世利益の神として知られ、金運向上にご利益があると言われる「倍返りお守り」が授与されていることで有名とのこと。
西明寺での滞在時間もまた、約1時間ほどでしたが、この後は「三尾」の最後となる高山寺へと向かいます🎵
西明寺から高山寺までの徒歩移動は、清滝川沿いの遊歩道(東海自然歩道)を経由して約15分〜20分程度です。
高山寺では国宝・鳥獣人物戯画の写本が見られる「石水院」が有名ですが、この「石水院」からの紅葉が絶景とのことで、とても楽しみです。
次回へと続きます…☆





























