武藤十夢「関東大震災100年シンポジウム」登壇に対する懸念~虐殺、小池百合子、歴史修正主義 | 不条理に抗う:女性アイドル最高評議会

不条理に抗う:女性アイドル最高評議会

不条理な経験について記します。その逆も書こうかな。
「アイドル最高評議会」とは「ジェダイ最高評議会」のパロディ。
記事を投稿するにあたっては時間をかけて推敲しています。しかし、まちがったこと、書き忘れたことをあとから思い出して加筆修正しています。

こんばんは。

 

暑い日々が続きますね。みなさま、お元気でしょうか。

 

さて、当分のあいだ更新しなくてもよいと思っていたのですが、武藤十夢が「タレント・防災士」という肩書で東京都主催の8月26日「関東大震災100年シンポジウム」のパネルセッションに登壇しますね。

私は「@JAM EXPO 2023」に行くため、アーカイヴが残らないかぎり、内容を確認できません。

 

 

 

https://tokyo-k100event.com/

 

https://tokyo-k100event.com/

 

 

ポイントは十夢さんが「震災後に官民双方でかなりの数の日本人が流言飛語を信用してあるいはまき散らして朝鮮人を虐殺した、そういう事実(=関東大震災朝鮮人虐殺事件)はない」という主旨の発言をしてしまうかどうか、もしくは承認してしまうかどうかでしょう。もちろん登壇する以上、黙っていても、小池百合子都知事と東京都がこのシンポジウムを通じてもしかける歴史修正主義ーーrevisionismの訳語、「見直し主義」。歴史を正しいものに修正するという意味ではなく、おもに保守、右翼がジェノサイドなどの大罪をなかったことして、自分たちにとって都合のよいものに歴史を書き直すことを指しますーー、ジェノサイドの否定に加担することになるのですが。

 

よく言われる民間の「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマだけではなく、内務省の「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策している」という警察署への通達もこのジェノサイドを招いてしまいました。朝鮮人が発音しにくいとされる「十五円五十銭(じゅうごえんごじゅっせん)」を言わせて、相手が言えないと、本当は日本人である人も殺されることがあったと言います。

加藤直樹『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(ころから、2013年)、西野雅夫編集『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(ちくま文庫、2018年)などを参照すれば、愚かな人々は朝鮮人(不逞鮮人)狩りのために自警団を組織するなどしてこの愚行に関係してしまいましたが、しかし、萩原朔太郎、芥川龍之介、黒澤明など情報リテラシーが高いインテリはこんなデマをまったく信じず、バカどもがバカなことをやっているとしか見ていなかったことがわかります。

犠牲者の数が数百人だったのか数千人だったのかは正確に数えようがありません。でも、この事件がジェノサイド、大量虐殺であると言えるほどの大規模の擾乱であったことはもはや歴史的事実として確定しています。

そのため、排外主義、極右的思想のもち主だったあの石原慎太郎都知事でさえ、関東大震災朝鮮人虐殺事件に関して否定論ーーこういう文脈での「否定(論)denialism」は賛否両論の否という意味ではなく、それが心理的に不快であるという理由で史実、現実に決まっているものを否定することを指しますーーを展開することなく、毎年民間で9月1日に行われている追悼集会に追悼文を寄せざるをえませんでした。

しかしながら、小池百合子は就任二年目に難癖をつけて追悼文の送付をやめてしまったのです。中立を装ってはいますが、長年の慣行として続けられてきた追悼文の送付を止めてしまった以上、彼女が"トンデモ"ない否定論を展開しているとみなさざるをえません。

確定した歴史的事実を否定するのは「ナチスによるユダヤ人虐殺はなかった」「南京事件はなかった」と言うのと同じ歴史修正主義です。そしてそもそも「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策している」「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」という言説自体がデマであるだけではなく、マイノリティをマイノリティであるという理由だけで何の根拠もなく犯罪者扱いする人種差別、ヘイトスピーチです。そうすると、関東大震災朝鮮人虐殺事件は人種差別主義者や情弱がそういうヘイトスピーチを信じて在日コリアンに対して実践したヘイトクライムだったのです。小池百合子が在日コリアンという日本社会における人種的マイノリティに対するそのヘイトクライムを今さら否定すること、もしくはあいまいにして認めないことは今を生きる在日コリアンに対するヘイトスピーチです。(もちろん大杉栄、伊藤野枝など無政府主義者、社会主義者も虐殺されました。)

  

「歴史家がひもとく」って、もう歴史家はひもはとき終わって「有」に決まっていますよ。多くの記録があるのです。「関東大震災の混乱で朝鮮人が虐殺されることなどなかった」という否定論を唱え実証できる歴史学者はいないと思います。

 

 

 

 

 

女性であり、容姿端麗である小池百合子都知事がこのようなタカ派の姿勢を取っていることを信じがたい人もいらっしゃるでしょう。しかし、小池都知事に関しては、すでにノンフィクション石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋、2020年)が明らかにしたように、彼女は権力欲が強く、処世術に長けているだけであり、弱者への思いやりも知性もない人間だと私も思っています。この本はいいかげんなことを書いた本ではなくて、大宅壮一ノンフィクション賞を受けています。

そういう人なので、嫌韓の波に乗って、そして自分の支持層の要望を採り入れ、関東大震災直後ーーと言っても、1日にすぐにではなく、2日の夜とか3日の夜とかから始まったーー朝鮮人大量虐殺を否定したほうが選挙で有利に働くと判断したのでしょう。政治屋の保身、処世術です。この人に中身なんてないです。

 

以下、識者による批判です。

 

 

 

 

東京都にしろ、神奈川県にしろ、大阪府にしろ、名古屋市にしろ、右傾化、ネトウヨ化した日本では、愚かな大衆によって首長が選ばれ、もうとっくの昔に事実、真実として確定したもの、論争が終結したものがこういうふうに否定されるのが当たり前になっていますね。恐ろしい世の中です。

小池百合子が知事を退任したあとは新知事によって追悼文の送付もおそらく再開されるでしょう。しかし、小池のあとに小池と同等もしくはそれ以上の極右の否定論者が登場して当選しないともかぎりません。

 

読者のかたには「ネトウヨ」「愛国者」もいらっしゃるでしょう。しかし、よく考えてくださいよ、もし日本人が関東大震災朝鮮人虐殺事件、南京事件という史実を感情的になって否定することが許されるなら、ジャニーズ事務所やファンはジャニー喜多川の性加害を感情的になって否定しても許されますし、男性は性差別、セクハラの存在を否定しても許されますし、上司はパワハラの存在を否定しても許されますし、異性愛者は同性愛者に「気持ち悪い」と言っても許されますし、あなたがひき逃げされてそのあとはっきりとした証拠を見せても、保険会社や相手や警察の都合でひき逃げ事件がなかったことにされてしまうのが当たり前の世の中になりますよ。

 

東京都は追悼文の送付をやめただけではこの件を収めませんでした。なんと都の人権部があるイヴェントで予定されていた関東大震災朝鮮人虐殺事件に関する動画の上映を中止させたのです。表現の自由を弾圧しているというより、明らかに歴史的事実であるものを東京都内から抹消しようとしているのです。歴史学者の研究によって史実として確定しているのに、都知事の意向を忖度して、虐殺という極度の人権侵害を認めず、むしろ自らが人権を侵害するなんて、何のための人権部でしょうか。

もしシンポジウム当日に市民もしくは市民団体が小池都知事やシンポジウムの内容に関して抗議することがあったとしても、悪いのは小池都知事と東京都の側です。

 

 

今回のシンポジウムを主催することで小池知事は以下のようにほのめかしたいのでしょう。すなわち、私は朝鮮人虐殺に対して否定論を展開しているのも、もっと一般の市民のみなさまのために未来志向の防災対策について考えていきたいからなのですよ、と。

今回、十夢さんが小池知事と直接会話することはありません。でも、周囲もただのビジネスパースンの集団みたいなので、今回の登壇を名誉なことだととらえて、小池さんと記念写真を撮ってインターネット上に載せるかもしれませんね。

でも、たぶん十夢さんはなめられているだけです。アイドルは使い勝手がいいんですよね。ビジネスのことしか考えていないので、政治的に利用されやすいです。無節操な関係者、ファンが多いので、企業や役所がお金さえ渡せば、仕事をくれれば、ギャンブル依存を招くパチンコ、競艇、競馬、競輪、カジノであろうが、ルッキズムを強化する美容整形であろうが、貧困(層にたかる)ビジナスであるサラ金であろうが、(性差別を強化する男性向け)グラビアであろうが、おおよそエセ科学だとわかっている磁気治療器、ピップエレキバンであろうが、しっぽを振って、ついてきます。

震災後の二次災害として関東大震災朝鮮人虐殺事件が起きたことについては絶対に触れないように。おそらく、そういう言論統制が事前に東京都からパネリストの十夢さんにも行われていると思います。 「防災士」の資格で登壇するのに、議論の過程で避けて通ることはできても、現在最も切実なこの二次的な人的災害にについては初めから絶対に触れられないのなら、客観性は欠きますよね。

 

十夢さんは『続 戦車闘争』というドキュメンタリー映画のナレーションの仕事も、すなわちリベラルの側の仕事も引き受けています。

しかし、一定の節操はもって仕事は選んだほうがいいと思うんですけどね。仮にこの講演、シンポジウム、パネルディカッションが関東大震災朝鮮人虐殺事件否定論、歴史修正主義にもとづかなくても、これらの開催自体が小池都知事と都の人権課が朝鮮人虐殺に対して否定論を唱えてしまったその失着から都民の目をそらせること、言い換えれば、このシンポジウムを自分たちの否定論に上書きして、自分たちが否定論を唱え、史実を抹消しようとした罪を隠すことを目的としているのですから。まあ、朝鮮人に対する虐殺なんて震災に関して起きたほかのことに比べたら、ちっちゃいことですよ、と。でも、災害時に怖いのは、自然そのものが引き起こす一次災害よりもリテラシーの低く、混乱を利用して自分の欲求不満のはけ口を暴力に求める人間、マジョリティ男性のバカどもが引き起こす二次災害ですよね。

 

 

情弱ではなく、なおかつ一定の倫理観をもっていれば、小池が在日コリアンに対してヘイトスピーチを行っている関東大震災に関して、小池になんて呼ばれたって行かないでしょう。小池の歴史修正主義なんてとうてい受け入れられない歴史学者はもちろん人文社会科学系の学者を呼ばずに理系の学者だけを呼んでいる点でも、うさんくさいシンポジウムです。

こういう堅いシンポジウムにも登壇してタレントとして箔をつけたい気持ちもわかります。でも、十夢さんの本職はタレントなので、学者でもないのに、本職以外で、政治家と官僚のご都合主義、公僕としてあるまじき偏向、史実の改ざんというこういうことに巻き込まれるのはめんどうなだけです。

もちろん「めんどう」とかたづけずに市民、都民の一人として、高校生にだって無理筋だと理解できる小池の歴史修正主義が出てきたときに、それと対峙し、打ち合ってもいいのですが、でも、「たかがタレント風情が生意気に」と言われて、理不尽な敗北を喫するかもしれません。小池に協力するのも、小池と対決するのも、どっちにしたってしんどい。だから、こんなんは断ったらよかったんですよ。

 

キャラクターを考えると、二人とも仕事が行き詰まったら、政治家への転身も辞さないタイプでしょうから、武藤十夢と小池百合子とは似ているし、相性がいいんですけどね。十夢さんには歴史修正主義、ヘイトスピーチ、関東大震災朝鮮人虐殺事件否定論に加担せず、そこそこで抑えておいてほしいですね。しかし、もちろん、とにかくたとえ相手が東京都知事であろうと、十夢さんが歴史修正主義者、ヘイトスピーチの実践者と連帯してしまわないことを祈ります。

 

 

[後記]

 

やはり、今年、100年にあたっても、小池百合子は追悼式に追悼文を送らないようです。ジェノサイドの史実を曲げても、愚かな大衆だけに迎合する冷酷無比な政治屋ですね。