以前、財務諸表の記事で少し触れましたが、さいきん、ネット上には”原価厨”と呼ばれる人たちがいますね。原価厨をかんたんに説明すると、モノの「原価」に異様にこだわり、売価との差額をあげつらい、「ぼったくり」などとのたまうヒトたちです。

 

しかし、この記事で言いたいことは「彼らがけしからん」という話ではありません。言いたいのは、近頃、なぜ原価厨と呼ばれる人が増えたのか?あるいは原価厨に至らなくても、なぜそういう気分の人々が増えたのか?ということ。

 

原価厨の皆さんは、ラーメン800円に対して原材料費が400円なら「2倍もぼったくってる!」とおっしゃたりする。最初私は、彼らが売上から単純に原材料費を引いた粗利のみに注目し、粗利に含まれる人件費・販売管理費・家賃等々を一切合切失念するという、説明するのもアホらしくなるような、簿記会計上の初歩的ミスが原因かと思いました。しかし、それならば時代に関係なく原価厨は正規分布で居たハズですが原価厨の発生は極めて近年の出来事です。

 

 

ところで、彼らが目の敵にする「粗利」には別の名前があります。それはもちろん付加価値です。原材料に企業や労働者が手を加え、付加価値を高める行為は現代資本主義の根幹であり、付加価値に対する当たり前の対価を払わねば経済は回りません。経済に興味などなくとも少し考えればわかりそうな話ですが、彼らはあえてシカトしてるようにすら見えます。そこで考えました。彼らは払いたくても払えないのではないか、と。

 

約10数年前の日本ではニコニコ動画が全盛期で、そのプレミアム会員のサブスクが「ワンコイン500円」で衝撃的でした、もちろん「安い」の意味で。しかし、今、日本市場ではサブスク月額500円は決して安くはありませんね。なにしろあのAmazonですら月額500円の壁を超えられないのですから。日本のAmazonプライム代金は中国より安く、世界的に下位グループに入ります。もちろんサービス内容に各国違いはありますが、日本はむしろサービスが充実してるほうだったりします。つまり、今の日本人は、Amazonから「月額500円が精一杯の購買力だ」と判定されているのですね。

 

少し話は逸れますが、私は若い頃からタイランドに縁があり、初めての渡航は90年代の半ば頃で、当時、首都バンコクでは大卒でも賃金はだいたい月収3万円程度でした。それからすこし時代は下って90年代末頃、TVで内村光良がネプチューンのホリケンと「パタヤビーチへようこそ!あいあい100円!」とコトあるごとに小銭をねだるタイ人ガイドのコントをやっていました。内村氏に悪意があったとは思いませんが、当時の日本には東南アジアを小バカにしている雰囲気があったのです。それが今や、バンコク都に限れば月収15万円超えもザラにいたりするのですね。これは場合によっては、日本の最低賃金を越えるということです。2021年の日本国内には、かつて小馬鹿にしていたタイ人より安く働くひとが増えているのです。

 

私の結論を言いますと、

「原価厨の発生は、もともとずっと右肩下がりだった日本人の購買力がいよいよ危険な水準まで堕ちてしまった兆候かもしれない」です。「付加価値の対価が払えない」を「払いたくない」にすり替えてしまったのですね。

 

最初の方でも言いましたが「原価厨がけしからん」言いたいわけではないのです。彼らが原価厨になるのにはそれなりの原因があり、それを取り除かないと、日本経済の持続可能性が危ういと思ってます。